【球面体ノート34】昔のパチンコでありがちだったこと<ホール編15選>

 2022年9月に入り、いよいよスマートパチスロ(スマスロ)が各社からお目見えするなど、新時代への準備が進んでいるのを感じる今日この頃。そのうち「昔は玉やメダルを直接触ることができた」なんていう時代が来るのでしょうか(しみじみ)。

 振り返れば、パチンコの文化的側面においても様々な歴史的変遷がありました。そこで今回は、1990年代ぐらいまでのパチンコホールで「見かけた」ものや「ありがち」なことを集めてみました。

●ありがちその1「大きな花輪」

(写真)1986年、都内ホールの新規開店で飾られた沢山の花輪
(写真)1983年、都内のホールオープンでは入り口周囲に花輪が飾られた

 昔は新規オープンや新台入替を示唆……というか思いっ切りアピールするツールだった「花輪」。道に置けない市街地などでは、入り口付近の上部に提げたりしていました。

●ありがちその2「派手なネオン」

(写真)左は1985年都内、右は1989年埼玉の郊外店

 昔はとにかくホールの数も多かったことなどから、存在感をアピールするネオンも欠かせないツールでした。郊外店のギラギラぶりは、電車などからも一発で認識できるほど。

●ありがちその3「回転する看板」

(写真)1982年、吉祥寺の商店街にあったホールの回転する看板

 店頭などで、よく見かけた回転看板。店名や機種名など様々なパネルが入れ替えられたりして、集客に一役買っていたようです。

●ありがちその4「求人広告」

(写真)1993年、大阪の十三にあったホールの従業員募集貼り紙

 なぜか昔のホール店頭には、万年求人広告が貼ってあった気がします。寮完備とかかなりの高待遇に思えますが、そんなに人離れが激しかったのでしょうか?

●ありがちその5「チンドン屋」

(写真)左は1982年新小岩のホール新規開店で、右は1999年船橋のホール前

 開店や入替を示唆する方法として、昔は重宝されていたチンドン屋。あの音がすると、パチンコで何かある! と、自然と反応するようになっていましたが(笑)、すっかり見かけなくなりました。ちなみに写真右は1999年のもので、若い女性たちが扮するニュータイプのチンドン屋もいたようです。

●ありがちその6「人の山となだれ込み」

(写真)1983年、郊外店舗の新規開店に集まる人々

 ホールの新規や新装開店は、多くの人々を集めさせます。これは今も昔も変わりませんが、今のように並んで抽選を待つということはなく、昔はとにかく早い者勝ち。

 そのため開店をキャッチした人々がドアの周囲に黒山の人だかりを作り、開くや否やなだれ込みます。怪我も茶飯事でしたが、店はほとんど関知せず本人も「武勇伝」にしていた時代でした。

●ありがちその7「堂々とパクる」

(写真)1989年、思わず二度見するほど堂々とした構えのホール

 昔は著作権などの認識が希薄だったこともあり、ホールや台などで堂々と写真のようなことが行われていました。二度見してしまうような存在感は、やはり昔ならではです。

●ありがちその8「入り口や島の端に玉貸し機や両替機がある」

(写真)1985年、高知県にあったホール入り口付近

 今も多少は残っているとは思いますが、昔は台間玉貸しがなかったり、あっても百円対応だったりしたため入り口付近で玉を借りたり札を両替しなければなりませんでした。こうした光景も、CR機の普及などで徐々に減っていったように思います。

●ありがちその9「タバコを吸いながら打てた」

(写真)昔の台には灰皿が付いており、80年代後半には吸い殻掃除機も登場した

 これは紙タバコ時代の話ですが、台に灰皿が付いていて吸い殻が入っているのが当り前の光景でした。掃除のため、80年代後期から専用の掃除機も登場しました。

●ありがちその10「床が木で吸い殻やゴミが散らかっている」

(写真)1982年、千葉にあった木の床のホール

 タバコに関連し、昔のホールは木の床が多く吸い殻やゴミを平気で捨てる人も後を絶たなかったため、一見するとすごく汚く感じたものでした。従業員が、よく箒で掃除しているのも見かけました。

●ありがちその11「店員にパンチパーマが多かった」

(写真)1983年、ホール従業員や店長にはパンチパーマが多かった

 80年代頃は、パンチパーマが全国的に流行していたこともあってかホール従業員にも多数見かけました。もちろん、店長クラスの方にも多数……。

●ありがちその12「玉の音がうるさかった」

(写真)1988年、都内ホールの天井付近には玉が流れるとよが

 玉の補給システムがアナログ的だった頃は、天井近くに「とよ」が張り巡らされてそこを玉が通るため、とにかくうるさかった記憶があります。床下にも研磨や配給システムがあったのか、ザーザーと地鳴りのような音が聞こえる店もありました。

●ありがちその13「店内に子供がいた」

(写真)左は1982年、右は1991年の子連れ客の様子

 今なら大問題になる「18歳未満の入店」に関しても、90年代初期頃まではユルユルでした。写真のように子供をおぶって打つ女性もけっこう見かけたものです。

●ありがちその14「手書きの貼り紙や捨て看板があった」

(写真)いずれも1980年代初期の手書き貼り紙や捨て看板

 今のように自前ですぐプリント出力等ができる時代の遥か前には、多くのホールで手書きポスターが掲出されていました。大体、新機種入替の告知や注意書き(プロお断りなど)が多かったように思います。

 そして新台入替などの告知でよく見かけたのが「捨て看板」です。これもネットやSNSの普及などで廃れていったツールではありますが、お店の特徴などが出ていて見ているだけで面白かったものです。

●ありがちその15「ホールアナウンスが行われていた」

 「いらっしゃいませ〜、いらっしゃいませ〜、ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリお出し下さいませ〜!」といった景気付けの店内アナウンスは、90年代頃まで多くのホールで行われていました。

 インカムなどが普及していない時代には店員の呼び出しも放送で流れていましたし、お客も携帯を持っていないので呼び出しが行われることもたまにあったものです。

 近年は煽りが規制されたりパフォーマンスが古くさいものとされたりして廃れていますが、あれほど個性があった活気づけ手段はなかなかなかったと思います。

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 以上、15項目ほど懐かしい光景などを取り上げてみました。他にもまだまだパチンコ台自体や関連ツールなどにも懐かしいものが目白押し。機会があれば、そちらについてもまとめていきたいと思っております。

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