【ぱちんこヒューマン】第2回:遊技業界の“再建屋”と呼ばれた男…柴田金吾氏(後編)

 パチンコ・パチスロに関わる様々な“気になる人”にフォーカスした「ぱちんこヒューマン」2回目は、前回に引き続き遊技業界の「再建屋」として様々な会社の立て直しに貢献した、柴田金吾氏インタビューの後編です。

 アメリカやイギリスで出会ったカジノスロットがきっかけで、日本のパチンコメーカー「奥村遊機」社長として手腕を奮った柴田氏は、充電期間を経たのち再びパチンコ業界へ……。苦労と栄光、そして未来への提言をたっぷりとお聞きしました。

▲▽出ばなをくじかれた「バイクハンドル」の教訓▽▲

編集部(以下『編』)…奥村の社長就任後、見事に経営再建を果たされたわけですが、その後はどうされていたのですか?

柴田(以下『柴』)…奥村の社長を辞任してから数年間の充電後、大阪の高砂電器(後のアビリット)が新たに手がけようとしていたパチンコ事業の開発本部長に就任しました。そして2003年に『CRセブンレイ』という第一号機で、初めてバイク型ハンドルを搭載した新型筐体も発表することになったのです。

(写真)高砂のパチンコ一号機『CRセブンレイ』とバイクハンドル

編…バイクハンドルは、かなり異色な枠として話題になりましたね。

柴…社内では流行の最先端として、非常に力を入れていましたね。同時に、裏側に24キロもある鉄兜のようなセキュリティー部品も搭載し、ホール様にとっても十分安心して使って頂ける自信があったのですが……残念ながらほとんど売れませんでした。そして次の枠開発に取りかかったものの、1年はかかるということで、こちらでは出ばなをくじかれてしまったのです。

編…パチンコでの実績を買われての開発部長就任でしたが、あのハンドルは時代が早すぎたのでしょうか。

柴…そうですね、流行は早くても遅くてもダメでありタイミングが非常に大事なのだ、ということを学んだと思います。その後開発部長を解任され、高砂電器本業であるパチスロ部門の営業本部長に異動して初の液晶画面搭載機種発売に取り組みました。高砂の液晶機一号は『サイボーグ009』とのタイアップで、3万5000台を売り上げることができました。また、次の大型液晶画面を搭載した『鬼浜爆走愚連隊』は、ゲーム性も時代にマッチして10万台を突破しパネル換えも2回行いました。

▲▽株主たちを黙らせた『鬼浜』の成功と、異色の新事業▽▲

編…『鬼浜』は熱狂的なファンが多く、パチンコ版も人気を集めたりとロングセラーシリーズになりました。

柴…鬼浜の成功で、売上高も800億円を超え株価が2000円から倍額に急伸しまして、それまで毎回のように経営不振を糾弾されていた株主総会が、初めてスムーズに終了したという伝説にもなりましたね(笑)。総会の会場には、今後発売予定の機種をずらりと並べ、社長をはじめ社員が皆意気軒昂としていました。当時のパチスロはパチンコと違い、営業実績が良ければパネルを替えて何度も再販できるのが強みでした。

編…パチンコとパチスロは、販売される側にとってメリットに違いがあったのですね。高砂時代は他に印象的だったことはありましたか?

柴…パチンコ開発に携わっていた当時は常に新機種を作り出すことを考えており、いかに新しい版権を取得していくかも非常に大切な仕事でありました.そのような状況でしたので、海外にまで足を運んでパチンコに使えそうな映像や音楽がないか探しまわる日々が続きました。そして「ナンタ」という韓国の国民的ミュージカルと破格の値段で契約することができ、韓流ブームの先駆けとしてパチンコを完成させたことは、今も思い出深いですね。

(写真)2003年、アビリットの広告に登場した柴田氏。そのキャラクター性も愛された

編…確かに、韓流ブームにもタイミングが合った大型タイアップといえましたね。

柴…パチンコ・パチスロ以外でも、時代を先取りという意味では当時の社長が非常に先進的な方で、私財を投じて「濱野生命科学財団」を設立しました。そこでは医療機器の研究開発が行われ、当時としては画期的な小型の本格的口臭測定器“オーラルクロマ”を完成させたのです。

編…口臭測定器については、当時リリースで大きな話題となりました。どういう点が画期的だったのですか?

柴…従来、口臭外来は歯科大学病院にしかない上に、検査の為には大型ガスボンベのようなガスマトグラフィーという機械を使わねばなりませんでしたが、オーラルクロマでは30秒間注射器のような管をくわえてもらうだけで、パソコンにつないで数値化できるのです。こちらは海外の大学への売り込みなど、私の英語力を生かした販促も功を奏しましたね。

編…ユニークというか、柴田さんの周囲には本当に先進的な発想で時代を切り開く方が集まって来られるように思います。

柴…ただ、その後間もなく社長がガンで逝去されまして、私は一代のオーナーにしか仕えないポリシーがあるのでアビリットも退職しました。その後は人脈を生かしつつ、アルバイトのようなことをやりながら過ごして現在に至ります。

近年も、旧友達とゴルフや酒宴を楽しむ柴田氏(写真左…手前赤い帽子、右…右側)

▲▽柴田氏が業界に贈る「3つの提言」▽▲

編…ここまで、柴田さんの様々な経歴や業界関係者ならではの裏話などを伺ってきましたが、最後にパチンコ業界への提言があればお願い致します。

柴…パチンコは規制によって射幸性を抑えた方向へ進み、1円市場の拡大や今年4月からの禁煙に加え昨今のコロナ禍により、顧客の大幅な減少が続いています。しかし数々の危機を乗り越えて来たように、いつの時代も人間には娯楽が必要であり、パチンコはなくならない大衆娯楽と思っています。一方、パチンコは打ち手が参加して楽しむものという側面もあることから、ファンが楽しめる台がなければ自然淘汰の危険性もあります。そうしたことをかんがみ、以下3つの提言を考えました。
 1…規則の緩和を求め、出玉感のある遊技機を投入する
 2…ビンゴ会場を開設する
 3…パチンコ機とゲーム機が一体化した台が楽しめるホールを作る

編…オーソドックスなものからユニークなものまでありますが、それぞれについて解説をお願いします。

柴…1つ目は1円(低貸し)の普及で今後メーカーも台が売れなくなる恐れが大きいので、出玉が多く連チャンする機種の投入ができるよう、規制緩和を求めていくことです。2つ目は、閉店したホールをイギリスのようなビンゴ会場に替え、老若男女が楽しめる社交場にすること。そして3つ目は『パチンコホールは映画館である』というコンセプトで、例えばリーチや大当りで席が振動して大型スクリーンで美麗画面も楽しめるような遊技場を作るということです。

編…さすが、カジノなどにも精通された柴田さんならではの視点ですね。いずれも規制緩和など厳しい道のりが必要とされると思いますが、業界が今後も生き延びファンに多くの楽しみを与え続けてくれることを祈りたいです。本日はお忙しい中、有り難うございました。

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◎柴田金吾氏プロフィール

 本名・森康二 1947年東京都墨田区出身。遊技機メーカー役員を経てコンサルタント業開始。外国人にも読める「ヒーフーミーヨー(He Who Me You)コンサルタントオフィス」主宰。ちなみに「柴田金吾」は時代劇「眠狂四郎シリーズ」の作者である柴田錬三郎氏の名字と“金は吾にあり”から付けたペンネームで、現在この名前にて遊技業界誌のコラムを連載中。