【球面体ノート54】「レトロ雑誌拾い読み(2):1953年、連発式全盛のパチンコホールでアルバイトした女子高生の手記」
- 2025.08.19
- 球面体ノート

図書館で見つけた、古いパチンコ関連の記事などを紹介するシリーズ……といっても、前回から3年ほど経ってしまっているので忘却されてしまっているとは思いますが、やーーっと2回目です。
今回紹介するのは、今から72年ほど前の1953年に発行された「女子学生の生態」という単行本。著者の永井徹さんという方が、主に当時の女子高校生についてアンケートや手記を募り、それを紹介しながら様々な分析を行っている内容です。
中身は生活、趣味、異性など多数のジャンルについて掲載しており、タイトルに「パチンコ」という言葉が入る手記が2本ありました。しかしそもそも女子学生をテーマした本に、パチンコが唐突に出てくるのも不思議な気がします。
しかも、何故2本も入っているのか……? そこで当時のパチンコについて思い当たったのは、前年から「連発式(機関銃式、とも)」というタイプが大流行中だったということ。連発式は上限なく玉が打ち出せる仕組みの台で、ギャンブル性が非常に高いのが特徴です。そのブームに乗って日本全国で4万軒を越えるホールがあったそうなので、まさに街中パチンコ店だらけだったことが想像できます。ゆえにティーンエイジャーの目や耳にもパチンコの看板や音が飛び込んで来たり、それについて考えたりする機会が多かったのだろうと推測しました。
そうした背景を念頭に置き、ホールでアルバイトをすることになった「東京都・高校二年生」の女学生の手記を見てみます。単行本の4ページほどですぐに読める内容の上、臨場感もあり興味深いものです。
彼女は夏休みにデパートでアルバイトをしたかったものの、採用試験に落ちてしまいました。暇そうにしていると、かき氷屋でバイトしている友人のYさんが「お店(かき氷屋)が経営しているパチンコ店の女性が一週間休むので、代わりに働かないか」と声を掛けてくれたのです。すると……
パチンコ屋! 私は意外なのに驚きました。父になど話したら一ぺんで断られる。私はちゅうちょしましたが、Yさんは、職業は神聖である、としきりにすすめましたので、とにかくお店を見ることにしました。
と、やはり当時もパチンコのイメージが悪かったことが分かる一方、Yさんの「職業に貴賤なし」的なメッセージによって、前向きになったようです。
店はかなり大きく、たくさん機械がありました。店のおばさんに会いました。人の好さそうな方でした。仕事は、店の掃除と、機械に玉を入れるのです。賃金は、お昼過ぎから夕方まで働いて五十円くれるといわれました。
当時のデータによると、社会人の平均的な初任給は約6,500円。女子高生のちょっとしたアルバイト代としては悪くはなさそうです。そんなこんなで、彼女は両親に「洋品店で働く」と嘘をついてパチンコのアルバイトをすることに決めました。次の日、初出勤した彼女は……
パチンコの機械の構造を聞き、玉の入れ方、玉の出ない時の取り扱い方などを教えてもらいました。
十二時半頃店を開けましたが、待っていたとばかりにお客が入って来ました。私は、機械の裏側にいるので、客には顔を見られませんが、それでも聞いたことのあるような声がした時は、妙な気持ちになりました。
聞いたことのあるような声、というのが気になります。学校の先生か、はたまたまさかの父親だったりして? 残念ながらそこは触れられないまま、どんどん仕事が忙しくなっていきます。
夕方になると、あいた機械がない程に客が入りました。学生、労働者、紳士風の人。主婦、とりどりの人が機械に異様な眼を輝かし夢中です。ガチャン、ガチン、リンリン、ガラガラ。流行歌、怒号。その騒々しさには、頭の中が打ちくだかれて魂など消えて行ってしまいます。玉が出ないと大きい声をはり上げる。ガチャガチャ機械を打つ。あさましい限りです。
恐らく、連発機ですからとにかく1発でも多く飛ばすため、皆ガチャガチャと殺気立ちながらハンドルのバネを叩くようにしていたのでしょう。そんな大人達を見て「あさましい限りです」と思ってしまうのも無理はないかもしれません(笑)。何もかもが初体験だった彼女、バイトが終わった後の感想は
頭の中で、ガチャ、ガチャ、リン、リンと騒音が消えないのです。私の体は、パチンコ玉で打たれてクタクタになったのです。
何だか、ものすごく疲れてショックを受けた様子が分かりますが、特に後半部分でパチンコの裏側にいた自分が台になってしまったかと錯覚するような、奇妙で詩的な表現が素晴らしいな、とすら思ってしまいました。
しかし結局、彼女はアルバイトを一日で辞めてしまいます。そうして最後に吐き捨てるようにこんな結び方をしているのでした。
男の人は、パチンコがどうして、あのように好きなのでしょう。もしあのように、若い人々が仕事に夢中になって働いたら、日本の国は、よくなるんではないでしょうか。パチンコに使う金を貯金でもしたら国のためになるんではないでしょうか。
私は、たった一日のアルバイトでしたが、こんなことをつくづく感じました。
最後は何というか、パチンコ好きに対するよくある批判のような形で終わっているのですが、彼女があさましくうるさいと驚いた「連発式」は翌年一斉に禁止となり、ホールがバタバタと潰れて悲惨なことになっています。
そういう短期的な(パチンコ史にとっても希有な)ブームであったことを思えば、彼女の体験は歴史的資料価値があるものといえるのではないか? と思い、取り上げた次第です。もし今もご存命なら80代後半ぐらいと思われますので、その後どうされたのかも気になります。
最後になりますが、冒頭で「女学生のパチンコに関する手記が2本掲載されている」と書いた件について、もう一本は残念ながら、当時急激に増えたパチンコ店(何もなかった町に7軒ほど乱立したそうです)に驚きつつ、終始「パチンコはふしだらで国民の心を惑わす物だから、禁止した方がよい」といった論調のものでした。
やはり「連発式」の大ブームは、こうした無関係の層にとっても少なからず影響があったのだな……と、思わずにおれない手記たちでした。
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