【ぱちんこヒューマン】第3回:*ゼロタイガー40年*羽根モノ全盛期を支えた開発者インタビュー(前編)

 2021年は、羽根モノの元祖『ゼロタイガー』登場から40年。それを記念して、今回から(株)平和協力により関係者インタビューを掲載していきます。

 今回そして次回に渡りお届けするのは、昭和から現在にかけて数々のヒット羽根モノを手がけられて来た、開発者お二人へのインタビューです。

 出席頂いたのは役物設計担当の佐藤卓也氏および、デザイン担当の藤川詔康氏。現在、平和の嘱託社員として後進の育成などにも尽力されているエキスパートのお二人に、今回は羽根モノ黄金期(昭和〜平成)を中心とした時代を語って頂きました(※インタビューは書面でのやりとりを含め、マスク着用や換気等新型コロナ対策を十分とった状態で行っています)。

<出席者プロフィール・敬称略>

佐藤 卓也…(株)平和 開発本部 設計グループ 設計チーム所属。1984(昭和59)年入社。役物設計を担当し、『スフィンクス』『モンキータクシー』『ぽんぽこ林』などの羽根モノを手がける。現在好きな機種は『戦国乙女』で、ハマっていることはゴルフとフィッシング。

藤川 詔康(のりやす)…(株)平和 開発本部 設計グループ IDチーム所属。1983(昭和58)年入社。デザイン関係を担当し、『安来名人』『スーパービンゴ』『ファクトリー』などの羽根モノを手がける。現在好きな機種は『トキオシリーズ』で、ハマっていることはジョギングとApple製品。

▲▽パチンコへの情熱で開発職に▽▲

(写真)役物設計を担当する佐藤氏

編集部(以下『編』)…まずは、お二人が平和入社前によく打っていた機種や『ゼロタイガー』についての印象を教えて下さい。

佐藤(以下『佐』)「私は平和入社前ですと、羽根モノの『ゼロタイガー』や権利物の『バトルエース』が好きでよく打っていました。ゼロタイガーに関しては、やはりそれまでにない戦闘機が役物になっているところが良かったですね。男性は飛行機が好きですから、ゲーム性に生かされているのも人気を集めた秘訣だったと思います」

藤川(以下『藤』)「私が入社前によく打ったのは電役機の『ヘイワDEデート』や羽根モノ『ゼロタイガー』、あとは他社ですが『フィーバー』でした。ゼロタイガーに関しては、個人的にゼロ戦が好きだったこともあり、新しいゲーム性とともにすごく印象的でしたね」

編…元々お二人は、どのような経緯で平和に入社されたのですか?

佐「大学の専攻が機械工学でしたので、機械設計の職に就きたいと思い平和を受けました。面接時から役物設計を希望し、6ヶ月の現場経験を行った後に配属されたという流れです」

藤「私の場合は好きで打っていたパチンコのセル画を見て自分もできそうだと思い、描き貯めたイラストを持って桐生の平和本社へ売り込みに行きました。“アルバイトで試用してみてから”と言われましたが、晴れて2ヶ月後に採用して頂きました」

▲▽『スーパーキャノン』の売れ方に驚愕(佐藤)▽▲

編…やはり、お二人ともパチンコを創りたいという情熱がお仕事に結びついたのですね。佐藤さんは、入社されてからどのような羽根モノを手がけられたのですか?

佐「羽根モノが多く設置されていた時代ですと『スフィンクスV2』や『コスミックノア』『モンキータクシー』『スーパーキャノン』『ぽんぽこ林』といった機種の役モノを設計しました」

編…その中で、印象深かった機種はどれですか?

佐「やはり『スーパーキャノン』ですね。というのも、この機種は全国的には正直あまりヒットしなかったのですが、なぜか九州地区から毎月700台の注文が入り続け、パチンコの販売期間である3年経っても終わらなかったため、後継機の『スーパーキャノンDX』を申請し発売しました。すると、その後の3年間も九州地区で売れ続け、通算5万台のヒットになったんです。こんな売れ方をした機種は後にも先にもなく、一番驚きましたね」

編…それは、どういう背景があったのでしょうね?

佐「どうでしょう……? やはり九州地方のニーズに合っていたからかな、と思いますが、今考えても分からないですね(笑)」

▲▽他社に真似された時は嬉しかった(藤川)▽▲

編…藤川さんは、どのような羽根モノのデザインを手がけられましたか?

藤「羽根モノがメインだった時代だと『エアープレーン』をはじめ『安来名人』『スーパービンゴ』『ファクトリー』『ビッグウェーブ』、最近ですと『トキオプレミアム』といった機種ですね」

編…その中ですと、どの機種が思い出深いですか?

藤「入社して間もなく担当した『エアープレーン』です。役物左右のベース形状をくり抜き左右チャッカーと一体化させ、立体ビルを光らせるデザインを考えました。LEDが多かったり組み付けやビルの形状が難しいなど設計の方に手間をかけさせてしまいましたが、明るくて派手だといういい評判を頂き、販売台数が伸びたのも良かったです。また、他社からも同じようなデザインの台が出た時は、自分の発想が認められたようで嬉しかったですね」

▲▽時代と共に開発も進化を遂げた▽▲

(写真)デザインを担当する藤川氏

編…お二人が入社された頃から現在に渡り、台の開発プロセスもだいぶ進化していると思われますが、昭和から平成初期ぐらいまではどんな手順で作っていたのですか?

佐「役物の設計手順を簡単に紹介しますと、頭の中で構想した形状をドラフターを使って方眼用紙に組立図として描いて行きます。それを参考にして部品図を作り、プラスチック板や金属板に印を付けて切ったり削ったりしながらLED基板とハーネスを作成。ピンなど含め全部品ができたら、デザイナーに塗装してもらって組み立てます。出来上がったらハード担当が通電して動作を確認したりプログラムを調整して仕様を決定し、パチンコ台として試射を行ったりしながら最終調整を行います」

編…やはり昔はずい分手間をかけていたのですね。

藤「パチンコ台は役物製作を部品メーカーが行うことも多いのですが、当時弊社では全て社内で作っており、アイデアを競う試作機の発表会に向けて6つの班が切磋琢磨していました。試作機が採用されると、構造に合わせて担当者がデザイン画の候補を複数作成し、副社長がその中から発売する物を決定します。最終的に製品の金型を製作し、新機種として製造されていくことになります」

編…今はもう、そうした行程もだいぶ進化しているのでしょうね。

佐「パソコンを使って3次元CAD(設計用ソフト)で設計して、試作も手でいちいち削ったりすることもなくイメージ通りのものが3Dプリンターでできますから、楽になりましたね」

藤「セル画なども、昔はエアブラシを使って手描きで1枚仕上げるのに2週間ぐらいかかっていましたが、今だとパソコンで早いものだと1〜2日でできますね。また盤面が透明樹脂になったことで奥まで透けて見えますから、役物の奥行きなどを含めた全体でのデザイン構成を考えるような作業に変化していますね」

(インタビュー後編へ続く)

◎今回は、お二人の経歴や昔と今の羽根モノ開発の比較などについて、興味深いお話をお聞きしました。次回は今だから話せる衝撃的なエピソードや、今後への提言をお話頂きますのでお楽しみに!

※取材協力…(株)平和

※画像や文章の無断転載を禁止します