【球面体ノート24】黒塗りの意味

(写真)1968年、西陣が業界誌に掲出した黒塗りの広告

 2022年3月現在、ロシアのウクライナ軍事侵攻により世界中が不安や緊張に溢れた日々を送っています。

 こうした政情不安や人種問題など何か大きな出来事が起こると、著名人がSNSなどで「真っ黒な画像」をアップして沈黙の抗議を行うことがあり、今回も何人かがそうした意志を表明したことがニュースになりました。

 それで思い出したのが、1968年7月に西陣が業界誌の広告で「黒塗り」を掲出していたことです。枠内には社名のみで一切の文言がなく、何かへの抗議なのか? それとも絶望的な状況を表しているのか……? 全く分かりません。ご存知の方もおられるかと思いますが、元々西陣というメーカーは創業者の影響でユニークなことが大好きな会社ですから、もしかしたら単純に「ドキッとさせたい」というもくろみなのかもしれません。

 しかし気にはなるので当時のことを調べてみたところ、まず西陣関係では1968年3月、無人機好調の波に乗り群馬に新社屋と最新型工場を完成。様々な社内システムを電算化するなどハイテクの波が押し寄せ、新機種もどんどん発表していますから、そんなに黒塗りするような状況ではなさそうです。

 そうすると、業界関係のことかもしれないと思って当時の出来事を追ってみると、1967〜68年辺りはホールの大型化と過当競争が大きな問題となっていました。共存共栄を目指して各組合で台数規制が行われていたものの、それを無視した大型店が続々オープン。

 そのあおりか、1967年末時点で100台未満の小規模な個人経営の店舗が前年比なんとマイナス654軒、比率にして15.4%も減ってしまいました。メーカーも台の安売り合戦が問題になっていたようで、日工組(メーカーの組合)が適正価格に関する広告などを出しています。

 ……もしかしたら、この広告はそうした不安定な業界事情を憂いていたのかもしれないな、と思いました.西陣といえば、パチンコの歴史を塗り替える発明をいくつも生み出して業界発展に大きく尽力したメーカーの一つですから、奇をてらうよりも上記のような状況を憂いていたという方が近いのではないか……そう考えたのです。

 ちなみに業界では翌69年、1分間100発打てる台が認可されてパチンコ人気が復活します。調べた限りですが、西陣もこれ以降は黒塗り広告を出すことはありませんでした。主義主張を発露する場がSNSになった現代でも、こうした黒塗りを見なくて済むようになってほしいものです。(神保)