【球面体ノート32】(こぼれ話)取材は賜物

「僕、ターボXの開発担当だったから少し話せますよ」

 前回投稿した『ターボX』開発者インタビューは、フィーバーに関するエピソードを探している中でたまたまデジパチ同士の比較ができないかと思い立ち、ソフィアの方へダメ元で質問を送り、こんなご返事を頂いたところから始まった。まさか、開発担当ご本人とは夢にも思わなかったのだ。

 そして改めて場を設けて頂き、ほんの1時間程度の取材だったが次から次へと驚きのエピソードが出て来て、当初フィーバー関連記事の一部で使わせてもらえれば……と考えていたのが、あっという間に1本の記事に仕上がった。

 思えば、6年ほど前雑誌の企画で羽根モノ一号機『ゼロタイガー』開発者にインタビューをすることができたのも、全くの偶然だった。

 同機種の開発者とされる人物は昔よくメディアなどで紹介されていたのだが、ある時新聞に訃報が掲載されていた。その後たまたま話す機会があった知り合いの平和社員に「もうゼロタイガーの話が聞けなくて残念」とこぼしたところ、元々のアイデアを考案した人物(亡くなった方の部下)はご存命なので、紹介できるかもしれないという。

 すぐに連絡先を調べてもらい、電話を掛けるといつでも取材OKとのこと。それから企画を進めていき、羽根モノ一号機誕生までの話をまとめることができたのだ。

 また、他にも巡り合わせが妙に良かったこともあり、90年代中頃某人気機種の開発者にインタビューした時も、窓口の広報担当者が私が業界誌記者の頃から取材でお世話になっていた方だった。そうした付き合いから、本来取材をほとんど受けない開発に出て頂けるよう、はからってもらえた。現在なら100%話など聞けない相手だ。そう考えると本当にラッキーだったと思う。

 筆者はパチンコメディアで仕事をするようになって32年ほど経つ。気合いを入れて企画を立て取材して……という感じで進めることも多いのだが、案外、人の巡り合わせや偶然の流れで良い仕事ができたことも多かった。

 良い記事を作れば信頼が構築でき、「神保なら……」と、取りはからってもらえることもある。そんなこんなで取材は賜物という感謝の気持ちを持って、一生懸命続けていきたいな……と、改めて思っている。