【球面体ノート36】アントニオ猪木氏追悼:パチンコ・パチスロ“闘魂”メモリーズ
- 2022.10.01
- 球面体ノート
2022年10月1日、かねてより闘病中だったアントニオ猪木氏が亡くなりました。猪木氏といえば、パチンコそしてパチスロでも多くのヒット機種に登場するなど多大な功績を残しているのはご存知の通り。
そこで今回は特別編として、氏そして「闘魂」に関する遊技業界の出来事を写真中心で振り返ってみたいと思います。一番上の写真は2001年、パチンコで「闘魂」と最初にタイアップを行った三星(SanseiR&Dの前身)の発表会。
残念ながら猪木氏ご本人は来場しなかったものの、粘土フィギュアで表現された新日本プロレスの選手たちが登場する、斬新な画面表示が大きな話題となりました。
ちなみに三星の『CR闘魂』販促品は、やはり猪木氏をイメージした真っ赤なタオル。この後平和から登場して来た機種の販促品にも何度か登場しました。
そして2002年、4号機の大ヒット作となる『アントニオ猪木という名のパチスロ機』が平和から登場します。発表会に来場した猪木氏は7絵柄がデザインされたネクタイを着用し、撮影のため「ダーーッ」を何度もポーズしていました。
2003年『アントニオ猪木自身がパチスロ機』発表会のシーン。こちらも平和関係者と一緒に「ダーーッ!」を決めました。やっぱり、これがないと猪木シリーズではありませんね。
4号機の時代は、とにかく発表会や販促のスケールが大きかったのが印象的。『A猪木自身がパチスロ機』では舞台の上で餅つき大会などが開催され、来場者に猪木氏おすすめのブラジル料理がふるまわれるコーナーもありました。
さらに同年、東京ドームで「ULTIMATE FESTIVAL」と銘打たれた大掛かりなパチスロ&プロレスイベントも開催されています。
大会では世界に一つのサイン入りパチスロ機を巡ってパチスロ大会が行われたのですが、ドームの中にずらりと特製台が並ぶ様は、非常に壮観でした。
そして熱戦の末、優勝者に猪木氏から直接サイン入りパネルが手渡されました。会場には多数のプロレスラーや芸能人も来場し、ステージにて様々な試合やアトラクションも行われるなど、盛り上がりを見せました。
続いて2006年、平和のパチンコ機に新たなシステム(全面液晶&ユニット交換でホールの費用軽減)を採用した「SS」第一弾となる『CRアントニオ猪木という名のパチンコ機』が発表され、同年猪木氏も都内ホールで実戦。
この時はパチンコだけでなくプロレス関連メディアなど多数が集まり、実は写真を撮るのも一苦労の状態でしたが、ご自分の台を楽しそうに打たれていました。
さて、ここまで読んで頂いた方は「何か足りない」と思われているかもしれません。……そう、猪木氏といえば「闘魂注入」です。最後にそちらのシーンをお届けしたいと思いますが、普通の「ビンタ」ではつまらないので、女性の志願者への注入ぶりをお届けします。
こちらは、2003年の闘魂注入にて「頬ではなくお尻を叩いてほしい」とリクエストした女性に「注入」する猪木氏。何だか、笑いが隠せないのがいいですね。
最後は2014年、闘魂注入されてふらつく女性志願者の腕を、やさしくつかんで支える猪木氏。こちらでも満面の笑顔です。
何だか最後に猪木氏の人柄もにじみ出たような、そんな“闘魂”メモリーズをお届けしました。氏の、遊技業界に与えた大きな功績に感謝しつつ、ご冥福をお祈りしたいと思います。
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