【球面体ノート】パチンコ「ノンポリ族」
- 2021.02.16
- 球面体ノート
2000年代に入って以降ぐらいでしょうか、パチンコでしきりに「遊べる」という言葉が使われるようになりました。2006年には公募によって「遊パチ」という言葉が生まれ、その10年後には「ちょいパチ」という新ジャンルが誕生。羽根物を復活させようとする動きなども、長年に渡ってクローズアップされています。
しかし、元々パチンコ自体は「遊び」であったハズで、わざわざそうしたものを求めること自体がおかしい気がします。つまりそれだけギャンブル性が高まり、お金がかかる状況になってしまったということなのでしょう。
そんな中、1980年代にも「遊べる」というワードを売りにしていたホールがあったのを発見しました。上の写真は1984年1月、九州方面のホールに貼られていたキャッチですが、最後のところで「遊べるパチンコ店 その名は○○」と、わざわざ強調してあります。
使われている文言は全体的に1960〜70年代を想像させるような、いわゆる「ノンポリ」志向を感じさせますが、当時のパチンコは1980年に登場した『フィーバー』などのデジパチによって急激にギャンブル性が高まり、規制とのいたちごっこが続いていたため、そこからの脱却を模索していたのかもしれません。
あるいは「全機総入替」とありますので、ギャンブル性の低いデジパチに替えねばならない背景から、こうした「遊べる」方向性を強調していたとも考えられますね。
時は流れて今、2018年の規制によってパチンコ・パチスロは新たな時代への過渡期を迎えています。現状ではパチンコはギャンブル性高めの状態が続き、パチスロは厳しい状況となっているものの、いつまた状況が変わるか分かりません。
これまでの流れを考えると、遠からずパチンコにも再び規制が行われるようになるでしょう。そして規制の直後には悲観的な論調が高まるのも「お約束」となってはいますが、この貼り紙が示すような「天真爛漫、自由奔放」に楽しむことができる。それもまたパチンコの魅力と考えるべきではないでしょうか。
そんなことを念頭に、業界側に一番求めたいのはファンの選択肢を狭めないことです。ギャンブル性の高い機種が出て来ると、ワーッとそっちに流れて多くのファンを振り落としていく。そうしてどんどん打ち手がいなくなってしまったという流れを忘れず、冒頭に挙げた「遊べる」キーワードを再考して頂きたいですね。(神保)
※写真協力…(株)遊技ジャーナル
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