【球面体ノート】遊技業界の就活事情@1980年代
- 2021.03.03
- 球面体ノート
2月、東京オリパラ組織委員会前会長が女性蔑視発言により辞任した騒動以降、様々な場面で「女性活躍」がどうのこうのというニュースなどを目にする機会が増えました。
今ではパチンコ関連企業も男女問わず優秀な学生を採用しようと積極的な活動をされているのが当り前ですが、1980年代の就活、しかも遊技業界に関する女性の立場はどうだったのか? 今回は当時の状況を書き留めておきたいと思います(※私個人の経験です)。
私は大学に入って間もなく、サークルの先輩に元々興味があったパチンコへ連れて行ってもらい、その時けっこう出たこともあってすっかりハマってしまいました。マニア的な資質もあったせいか、ゲーム性だけでなく遊技台に書かれている社名などにも強い興味を持つようになり、東京駅にあった全国の電話帳が閲覧できるコーナーでメーカーの住所や電話番号を調べたりもしていました(単に好奇心を満たすため)。
また打っているとこんな台があればいいのに、とかこういう仕組みの方が面白いのでは? と感じることも多く出て来ましたが、今のように個人が発信できる場もなく時間が流れ、あっという間に就職活動を始める3年生に。当初は新聞社しか考えていなかったため、とにかくセミナーや文章講座を受講したり、時事英語や慣用句を勉強する日々へと突入。……まぁ、その間もパチンコは止められずに留年してしまいましたが(ダメ人間)。
そんなこんなで頑張ったものの4年の秋になって新聞社に落ちてしまい、どうしようか……と考えたところ、学生時代一番好きで興味を持っていたパチンコのメーカー各社に問い合わせてみよう! と思いついたのです。そこで役に立ったのが、好奇心を満たすために書き留めておいた電話番号等の情報でした。
最初に電話した名古屋メーカーでは、担当の方が
「大卒女子で就職の問い合わせをして来たのは、あなたが初めてですよ!」と非常に驚き、私の熱意に感動されたのか
「じゃあ、とにかく名古屋の本社へ来て下さい。工場も見学できますよ」などと、かなり好印象の対応をして下さいました。
日時などは改めてこちらから問い合わせることになり、ウキウキしながら数日後掛けてみると……
「来て下さいとは言いましたが、こちらで検討した結果、今回はなしということでお願いします」と、けんもほろろな対応に豹変。まさに胸が引き裂かれるような言葉に大きなショックを受けたものの、多分上司からストップが出てしまったのだろうと思い直し、他へいくことにしました。
次に桐生の大手メーカーへ問い合わせると、本社の募集は終わったが女性は各営業所の事務で求人があるかもしれないので、そうした雑誌などをチェックしてほしいと言われ終了。
関東メーカーは他の2社にも電話を掛けましたが、一つは
「うちは縁故採用しかしていません」とピシャリと断られ、もう一つは履歴書を送ってほしいとのことで送付すると、即お断りの手紙が返されて来ました。後者のメーカーは、男子に対しては上の写真のように丁寧な案内を繰り返し送っていたことも後になって分かり(友達にもらった葉書です)、余計ガッカリでしたね。
そんなこんなでよく打っていた機種のメーカー数社に問い合わせたものの、上記以外にも大卒女子の仕事はないとハッキリ言われたり、散々な結果に終わってしまいました。面接で「こんなパチンコが作りたい」とか様々な意見を言おうと用意していたのに、全く活用することができなかったのも本当に残念でした。
まぁ出遅れてノコノコ問い合わせた私自身にも問題があったとはいえ、こうして振り返ってみると、パチンコ業界への女性の就職は厳しい印象を受けましたね。1980年代は、終わり頃になって「男女雇用機会均等法」の成立によって女性の社会進出が注目されるようになった一方、遊技業界ではまだ女性の力はさほど必要とされていなかったのかもしれません。
その後、顔を出してみた合同就職セミナーで印象が良かった文具メーカーへ就職することができましたが、ちょうどその頃にパチンコ雑誌が次々創刊しており、やっぱりパチンコ関連の仕事をしたいという熱意がエッセイの投稿そして採用、業界誌記者へ転身……という形で進んで行くことになったのです。
実際にライターになってみると、あんなに憧れていたメーカー各社にも外側から取材という形でいくらでも接することができました。新聞ほど規模は大きくないものの、専門誌では多くの記事を書くこともできました。融通が利かない性格のためそれらに真正面から挑んで行くことしか考えていなかった私にとって、時間がかかっても「違うアプローチがある」ことが分かったのも大きなプラスだったといえます。
そして「好奇心でメーカーの情報などを書き留めておく」「就職試験のため文章などの勉強にいそしんだ」「パチンコでこうした方がいい、といったことを常に考えていた」といった経験も、ライターとして大いに役立ったのは言うまでもありません。結局、男とか女とかこだわらず好きなことや目の前のことを一生懸命やってみるというのがベストなのかな、と思います。
若い頃のようにガムシャラに……というわけにはいきませんが、これからもいい意味で「後先考えず」何かに情熱を持っていたいですね。(神保)
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