【球面体ノート】昭和の「大阪チンジャラ危機」とは?

 パチンコの歴史をひもといていると、時々面白い規制のエピソードに出くわすことがあります。もちろん、規制といえば「射幸心」に準ずるものがほとんどなんですが、ちょうど先日「レトロぱちんこ文化考察」でアップした「テレビ付きパチンコ」においても、射幸心をあおるという理由で電動ハンドルが許可されなかったという情報も書かせて頂きました。

 今回見つけたのは1959年(昭和34年)の、大阪方面における変わった規制です。今は見なく(聞かなく)なりましたが、パチンコでは玉が払い出される時「チャリーン!」というベルの音が聞こえました。その音が「射幸心をあおる」という理由で、警察から大阪の組合に排除するよう通告があったというのです。

 業界側ではもちろん困惑したものの、結局音を出していたベルを取ることを会議で決定し、一時期大阪のホールから「チンジャラ音」が消えたといいます。

 しかし、やはり味気なさと払い出しを知らせる告知を欲する反響などがあったらしく、当時あった「大盛遊機」というメーカーが「オルゴール付き」を考案したり、平和が「払い出す際、風車付近が点滅する台」などを発売していたそうです。

 その後再び「チンジャラ音」は復活していますが、現時点でその経緯は分かりません(他地域の様子を見たのか、なし崩しだったのか……?)。まぁ平成に入っても「データ表示器禁止」など地域によって射幸心の定義が様々で変わった規制もありましたから、いつの時代もパチンコは「お上次第」で姿を変えていることは、間違いなさそうですね。

 個人的にはチンジャラが復活してよかったと安堵した反面、「オルゴール付き」パチンコも普及してほしかった! と思うエピソードでした(神保)。