【レトロパチンコ文化考察】第13回*パチスロ特集*「大人の遊び オリンピアマシンの世界」

(写真)1966年、浅草のオリンピアマシン専門店外観

 1964年、前回の東京オリンピックの年に誕生したと言われる「オリンピアマシン」。しばらくして警察庁よりパチンコと同じ営業で使える遊技機として、以下の条件付きで認可を受けました(当時の業界誌より。一部読みやすく修正)。

  1. 3本のドラムとも、押しボタンで人為的操作によって停止する構造であること
  2. 人為的に停止させた場合以外、どのドラムも回転開始から停止まで30秒以上かかること
  3. どの押しボタンを押しても、対応したドラムだけ停止し、他のドラムは回転を維持すること
  4. どの押しボタンも、押すと直ちに停止すること
  5. 得点は15点(メダル15個)以下とすること
  6. 遊技料金はメダル6個50円以下とすること
  7. ドラムに付する絵の大きさ、数、色地および図柄並びに得点等を、申請書に添付してある通りにすること

 上記の条件を満たしていれば、全国どこでも設置することができたといいます。

 特に販促が積極的に行われたのは、ドラム停止に関する特許を取得していたオリンピア社(現在のオリンピアとは関係ありません)の『オリンピアスター』。東宝が札幌、銀座、新宿、浅草、渋谷に直営ホールを開店し、華々しいデビューを飾りました。

 写真一番上は1966年の浅草店舗外観ですが、今の時代にも通用するようなモダンでカッコイイ印象です。

 そしてさらに、店内写真を見ると驚くような光景が広がっていました。

 まさに、サラリーマンやOLと思しき大人の男女が、楽しそうに遊んでいるではありませんか。右上の壁にはおそらく東京オリンピック競技の写真パネルも飾られ、イベントにちなんで名付けられたオリンピアマシンならではの装飾となっていたのでは、と思います。

 景品カウンターも照明を落として、何というか上品なバーの一角というイメージがしますね。

 思わずタイムトリップして遊びに行きたくなるほど、健全で楽しそうなオリンピアマシンの世界。

 しかし、当時の業界では「パチンコと競合してしまうのでは」という意識が強かったらしく、オリンピア社の広告などを見てみると、しきりに「パチンコと共存共栄」という文言が使われていたのも、時代を感じさせます。

 また、オリンピアスターは停止方法がアナログであったため目押しが出来てしまったとか、ボーナスのような出玉の塊がなかったので、ギャンブルとしての面白さがイマイチだったという話もあります。

 なお、同機種に関する呼称について、興味深い資料もありましたので、ご紹介しておきます。

 オリンピアスターの筐体に関する呼称は、以下の通りです。

  1. インストラクション·グラス(蛍光灯照明付き遊び方説明)
  2. メダル投入口
  3. ハンドル
  4. リール
  5. リウォード·グラス(蛍光灯照明付き組合せ表示)
  6. スキル·ボタン(=ストップボタン)
  7. 払いもどし口

 けっこう、今のパチスロとは異なる呼称も見受けられますが、この他払い出し口の上にある、パチスロで言う下パネル部分(ダイヤモード·オーナメント)もピカピカ光ったりしていたようです。

 また、台座部分は回転するようになっていて、後ろ開きだったオリンピアスターのメンテナンスがしやすいようになっていたのも、大きなポイントだったそう。

 オリンピアマシンはこの後1985年にパチスロとして法整備されるまで、約20年間ほど様々なメーカーによって試行錯誤が繰り返されていきました。パチンコに比べると歴史が浅く設置台数を伸ばすのにも苦労をしたようですが、今回草創期の様子を垣間見てみると、遊技の1ジャンルとして多くの人に惹かれるものがあったのではないかな……と思いました。

※写真協力…㈱遊技ジャーナル社

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