【レトロパチンコ文化考察】第26回:時をかけるパチンコホール1972-2022 inアメ横<前編>
- 2022.09.03
- レトロパチンコ文化考察
昨年、このコンテンツにて「時をかけるパチンコホール」と題した「50年前のパチンコホールを現在と比較する」企画を行ったところ、大変なご好評を頂きました。そこで今回と次回は上野・アメ横地区のエリア限定で、今から50年前と現在を比較しながら当時に思いを馳せてみたいと思います。
今から50年前、1972年当時のホール名簿をめくってみると、上野エリアにあったのは17軒。そのうちアメ横には10軒があり、まずはJR上野駅から「上野中通り(上中通り)」方面へ向かって進んでみたいと思います。
50年前、ここには「ミハシセンター」というホールがありました。設置台数は140台なので小型のお店だったようです。よく見ると、ドラッグストアは2軒に分かれているようなので、どちらかが元ホールだったのかもしれません。
元ミナトホールの御徒町寄り隣には、元「西郷会館」のゲームセンターが。設置台数414台なので、こちらは大きめのホールだったようです。昔の写真を探したところ、正確には50年前ではないのですが1970年の外観がありました。
建物の形や壁の模様などから、おそらく現在も同じ建物を居抜きで使っていると思われます。マニアックですが時代の流れを感じるとともに、変わっていない部分を探すのも楽しいです(笑)。
御徒町方面にさらに進むと、元「ブルーリボン」が見えてきます。
こちらはゲームセンターやパチスロ専門店を経て、現在はドラッグストアに。古い写真は、50年前に近いところだと1969年のものがありました。
「ブルーリボン」は224台の中型ホールで、1977年には「テレビパチンコ」をかなり早く導入してニュースになったこともあったようです。筆者の記憶では、1990年代前半にはまだこの屋号で営業していました。
ブルーリボンのすぐ隣にあったのは、「ローズマリー」というスマートボール専門店。
元「ローズマリー」は、30台ほどの小型専門店だったようです。現在は写真左の小さなドラッグストアになっていますが、ここも2022年9月12日で閉店すると出ていました。
また、上中通りをさらに御徒町方面へ進むと、写真右の元「たぬき」があります。こちらもスマートボール34台の専門店だったようで、現在はシューズ販売チェーンとなっています。50年前はきっと、これらの界隈にスマートボールのガラス玉がこぼれ出る「ガラガラ」という音が響いていたかもしれません(後編はコチラをご覧下さい)。
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