【球面体ノート38】「レトロ雑誌拾い読み:1993年のパチンコホール売上高と店長の年収は?」

(写真)1993年冬のホール店内。カード式遊技機登場から間もないため、コーナーに「CR機」と表示されている(※本文とは関係ありません)

 図書館に行って古い週刊誌や一般誌(パチンコ関連記事)を読むのがけっこう好きな、編集長の神保です。見ていると1990年代辺りから「攻略法」関連記事が激増しますが、それらを除くと時代の流れや特徴を感じさせるものも多く、せっかくなのでこちらで印象に残った記事を時々ご紹介しようと思っています。

 そこで今回は約30年前となる1993年に発行された「新潮45」12月号から、当時のパチンコホール店長が書いたとおぼしき「パチンコ 我が世の春」と題したエッセイを取り上げます。

「1日にパチンコ1台で3万円、良いと7万円ぐらいの売り上げがある。設置台数が250台なので、3万で750万、7万で1750万円が一日の売上高だ。経費は台の価格が1台11〜15万円、取り付け費が1300〜2500円、電気代が一ヶ月200万円ほど。差し引くと1割5分ぐらいの利益になる。売り上げ1750万円だと262万5000円の利益だ。私は年収として、約2000万円弱もらっている」(『我が世の春』より抜粋)

 1993年のパチンコは、前年夏に「CR機」が登場したもののギャンブル性に乏しく売り上げが上がらないスペックだったため、設置を見送るホールが続出。しかし同年春新内規に則した『CR花満開』によって大ブームとなり、一転してユニット不足などが起こっていました。

 上のイメージ写真でも分かる通り、CRコーナーはほぼ満席になっている様子。また、現金タイプでもまだ連チャン機や遊べる台が沢山残っており、ホールの稼働や売り上げに貢献していたはずです。

 エッセイでは売上高など金額の大きさに目を引かれつつ、台の単価が今の4分の1程度だったことにも改めて驚愕します(電気代も相当安い? ように思いますがどうなんでしょう)。しかし、還元については触れていないので出玉率などがどうだったのかは気になるところ。儲かっていたことは解りますが、経費などの算出方法はこれでいいのか疑問も残ります(笑)。

「開店プロ軍団がやって来ると、リーダーのおじさんが何台かを押さえ、各人に1万円ぐらいずつ渡し、例えば3万勝ったら貸した1万と5000円ぐらいをピンハネしているようだ。おじさんは、もちろん打たない」(『我が世の春』より抜粋)

 開店プロというか、いわゆる「打ち子軍団」みたいのが既に存在していたんですね。当時はまだ開店時に甘くして玉を出し、固定客を付けることが営業の定石だったため、良い台が複数取れればかなり美味しい商売だったかもしれません。

「閉店後はお金を数え、売り上げデータが各台からホルコンに吸い上げられてから鍵を差し込み『税金対策モード』とか『節税モード』と呼ばれる経理操作のソフトを起動させる。これも店長の仕事の一つだ。そのデータをオーナーがどう使っているかは知らない」(『我が世の春』より抜粋)

 これは、正直かなり気になる記述です。たまに「ホルコン」というキーワードを使った陰謀説などを耳にしますが、本当にこんなモードがあったのか? あったとしたら店長さん自らが書いてしまう理由は何か?

 その辺が解りかねるため、記事自体の信憑性が一気に下がるように思われます。一般誌(特に週刊誌)は大げさな表現を好む傾向があり、眉唾な雰囲気もぷんぷんしますし……。

 とはいえ、ホール軒数1万8000軒前後で市場規模も30兆に届かんとする状況だった1993年の頃ですから、何かにつけ今とは比べ物にならないスケールだったことは事実でしょう。

 私自身も当時よく打っていましたが、現在のように短期間で狭い層からぶっこ抜くのではなく、稼働の高さゆえ広い層から少しずつ抜いていける、つまりホールが売り上げを上げつつお客も勝てる余地が遥かに大きかった時代でもありました。

 そう思えば、これからの時代はやっぱり新規やライトユーザーを大事にして増やしていかないと「お先真っ暗」感が拭えないでしょう。今回は改めてそんなことを考えさせてくれる記事でもありました。

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