【レトロぱちんこ文化考察】第5回「銀座のパチンコ物語」

 3月31日。俗に言う「年度末」にあたりますが、今年はちょっと悲しい日になってしまいました。というのもこの日、東京・銀座地区にあった最後のパチンコホールが閉店してしまったからです。

 上の写真は閉店当日撮影したもので、店内には思い出の写真やメッセージが飾られていました。1995年に誕生したこのホールには筆者個人も取材等で何度かお世話になったこともあり、しみじみと見入ってしまいました。

 ところで、銀座といえば「おしゃれ、高級」等と言ったイメージが強く、パチンコホールがあったことに驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。しかし実は古くから場外馬券売り場があったことから、その近辺中心にけっこうパチンコも集まっていたと言われています。古い写真を探してみると、

写真協力…(株)遊技ジャーナル社

 1960年代後半頃、銀座の馬券売り場近くにあったホールの看板には「実況中継を放送します」といった文字が見られました。馬券を買ったらパチンコを打ちながらレース中継を聞きましょう……といった感じで、こうしたサービスは馬券売り場近くのホールでは珍しくありません。

 その後時は流れて1990年代に入ると、液晶画面が付いたりカードで遊ぶCR機が登場したり、パチンコそのものが洗練されてきます。そこで1993年、銀座にオシャレなホールを作って女性客を増やしていこう! という試みが大きな話題となりました。

 写真は銀座に1993年オープンした「アイゼン ラーガ銀座」という大型ホール。外観からは全然分かりませんが、地下に下りると1000台以上のパチンコ・パチスロが設置してあり、初めて入る人は皆ビックリ。

 また、当時配布されていたパンフレットにはホールのキャッチフレーズが書いてあるのですが……

遅れてきても大丈夫。私はここで遊んでいるわ。

と、完全に女性が主役(=メインターゲット)になっていたのにも、当時は大変驚いたものです。イベント関係も、女性向けパチンコ教室をはじめちょっとセクシーな映画上映会など様々なものが企画されており、会社帰りのOLや意識高め? の主婦などが楽しめる工夫が散見されました。

 ちなみに筆者もパチンコ好きな女性の一人ではありましたが、当時はレトロなホールを巡るのが公私ともに好きだったため、どうもキラキラしたシチュエーションが落ち着かず、結局最初の頃取材で行った後は足が遠のいてしまいました。そして気付くとオープンから10年ほど後に閉店してしまっていたのでした。

 現在、ラーガ銀座があったビル自体は残っていましたが、写真の通り全く面影はありません。悲しいことにパチンコホールは減り続け、市場自体も右肩下がりの真っ最中ではありますが、今思えば「銀座=オシャレ=パチンコ」という発想自体はすごく前向きで、上手く続かなかったものの間違いではなかったのではないでしょうか。

 もちろん、特に今のような中では「コンセプトうんぬんは余裕があってこそのもの」という声もあるでしょう。しかし多様性、特に女性に目を向ける姿勢は止めてはならないように思います。

 ということで、今回は記憶に残っている銀座のホールについて紹介しました。次回はこれに関して、女性専用ホールやコーナーについて取り上げてみたいと思います。