【球面体ノート20】*パチスロ特集*時代を映す、パチスロの広告<2>
- 2021.09.10
- 球面体ノート
1964年に日本で誕生したと言われる、パチスロの前身・オリンピアマシン。しかし60年代以降はシェアを伸ばすことができず、70年代後半になってからマックス商事の『ジェミニ』ヒットによって復活するような形となりました。
この『ジェミニ』はアップライト筐体のため場所を取っていましたが、3枚掛け5ラインを採用してゲーム性も大きく広がったことから好評を集め、当時まだ少数派だった「パチスロ」(パチンコと同じサイズのスロット。リール制御も変えている)への流れを加速させたといえます。
上の写真は、マックス商事がパチンコサイズのスロットとして発表したオリンピアマシン『ニューヨーカー』の広告です。セールスの文言には「従来のパチンコ島が使用できる」とあり、ジェミニの後がまとしてがっちりとさらなるシェアも狙っていることが伺えます。
ニューヨーカーは大変好評を集めたようで、同じ1982年に開通した東北新幹線に引っ掛けて、販売代理店がこんなシャレた広告も出しています。当時の始発駅だった大宮のホールで稼働中の様子をぜひ視察に来て下さい……というもので、旅情を感じさせていいですね。
マックス商事の勢いは止まらず、82年終わり頃にはニューヨーカー以外にもパチンコサイズのオリンピアマシンを次々と発売。残念ながら詳しいゲーム性は分からないものの、後のパチスロ1号機に継承されている機種名も見受けられます。
ちなみに1982年は全国にパチンコホールが前年比700軒増の約1万300軒あり、パチンコ設置台数が初の200万台を突破。そしてオリンピアマシンも設置店が1000軒を超え(前年比300軒)、3万8000台が稼働(前年比約1万3000台)という、大きな伸びを見せていました。
そんな流れですから、マックス商事以外のメーカーもイケイケ状態になっていたようで、上のサミー工業(現・サミー)もカラーで大きな広告を頻繁に掲出していました。
また1982年後半には広告のほとんどがパチンコサイズのオリンピアマシンとなり、それまで主流だった大きなアップライト筐体はごく一部(エボン社など)しか見つけられなくなったのも、大きな特徴でした。
こちらはユニバーサル販売の『アメリカーナ』広告ですが、文言にはやはり「パチンコサイズのコンパクトな設計」とあり、既にこうしたタイプが欠かせないものになりつつあることを示しています。
また、説明文冒頭には「パチスロ」という言葉も普通に使われており、当初『パチスロ パルサー』など山佐系だけが使っていた呼称が、だんだん広がって来たことも分かります。
さらに、パチンコサイズのオリンピアマシンが急激にシェアや人気を集めて来た中で、価格破壊に名乗りを上げるメーカーも出てきました。しかも、こちらの広告でもしっかりと「パチスロ」という言葉を使っています。
オリンピアマシンとパチスロ(0号機)の区別については別のコーナーでまた検証する予定ですが、とにかくこうした一連の広告を眺めてみると、急激にその存在感が高まって来たのは1982年であったのは間違いないんじゃないかと思われます。
今回は1982年の広告を通じ、パチスロという存在がパチンコファンにも急激に広がって来た時代に想いを馳せてみました。
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