【球面体ノート35】パチンコの“中の人”〜島の中に人がいた話〜

(写真)1966年、大阪・枚方市内にあったホール。島の幅が非常に広い

 何か組織や団体などに属している個人について、近年よく「中の人」などと表現するのを耳にします。かくいう筆者もTwitterなどで「中の人」と自称しており、すっかり身近に感じております。

 一方パチンコにおいても数十年前「中の人」がいた時代があり、「有人期」などと総称されています(人が裏で補給したりする台は『有人機』と言います)。上の写真は大阪府枚方市にあったホールの様子ですが、島(パチンコ台が設置されている一かたまりのこと)の幅が妙に広いと思いませんか? その理由は……

(写真)1966年、まだ島の中に人が入っているホールは多かった

 このように、間に人が入っていたからです。まさに「中の人」状態ですが、何をやっていたのかというと、当時はまだ玉の自動還元設備などが整っておらず、従業員が払い出し用の玉を台に流し入れたりしていたのです。

(写真)有人機コーナーでは裏にいる人と話ができる穴が空いていた

 ちなみに先ほどの島写真を拡大してみると、台の上方に穴が空いており、そこから中の人に「(払い出しが)出ないよ」などと声をかけることができました(※遊技機にも玉の払い出しが分かるような穴があいていました)。

 こうした有人期は、例えばクレイジーキャッツの「ショボクレ人生」という曲の中で「(パチンコ打っていて)お〜い、出ないぞ! 怒鳴る声だけ一人前」と歌われていたり、人々にすっかり浸透していた文化であったといえます。

(写真)1967年、金沢にオープンした巨大ホール「オーロラ会館」では無人機により島が狭い

 しかし、翌1967年頃には写真のようにスッキリした島が増えて来て、中の人達がだんだん存在感を失っていきました。こうした「中の人いらず」の台を「無人機」と総称し、特に西陣が先頭に立つ形で普及に力を入れていました。

(写真)1960年、業界向け西陣の広告。無人機と設備に力を入れている

 古い業界向け雑誌などをめくってみると、西陣ではすでに1960年にはこのような広告を掲出しており、「レコンジスター」という無人機用の島設備を発売していました。

 島の幅は約30センチだったので「一尺島」と総称され、のちに「省力化によって人手不足解消」「島の間が狭くなるので、台をもっと増やせる」といった利点が多くのホールに支持されるようになりました。

(写真)1960年、好評の『レコンジスター』が関西にも進出

 これは、同じく1960年『レコンジスター』の広告。ヒットによって関西方面の販社でも扱うことになったことをアピールしているものですが、コピーの「人間を食べないキカイ」というのが、まさに「中に人がいなくなった無人機」を端的に表していて、すごく面白いですね(イラストもユーモラスです)。

 60年ほど前にはこうして「中の人」が活躍していたパチンコも、いよいよ来年からスマート化により玉そのものが不要になっていきます。改めて時代の流れを感じてしまいますね。

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