【球面体ノート42】ヤマト発進と超特電の謎

(写真)1980年4月、人が入り切れない水道橋「みとや」の新台入替風景

 新台入替。

 パチンコファンにとって、いつの時代も心ときめく言葉です。

 上の写真は1980年4月、都内水道橋で今も営業する「みとや」入り口の様子。この日は平和の特電機(電気仕掛けの役物が搭載されたジャンルの、昔の呼び名)『大和』とサミーのブラウン管表示付き雀球が導入され、人が入りきれないほど溢れています。

 向かって左では瓶入りジュースがおそらく無料で配られ(昔はよくあったサービスです)、お祭りムードを盛り上げているようです。

 そんな中、この写真には突っ込みポイントが2カ所ほどあることに気づきました。

 一つ目は、右のガラス扉に描かれた『大和』をイメージさせるイラスト。

 極端にデフォルメされた戦艦と、波動砲が放たれそうな前部の大きな穴。これって、あのアニメ……?

 そしてもう一つは、その上部に書かれた「超特電」という言葉。

 ご存知の方も多いかと思いますが、「超特電」というのは『フィーバー』から始まったデジパチを指します。フィーバー発表は80年9月しかも最初の頃はほとんど導入されなかったマイナー機だったため、まだ4月にはこの言葉は存在しなかったはずなのです。

 あくまでも仮説ですが、昔から何かすごいことに対し、「超〜」と付けるのは人々のお約束の一つ。つまり、『大和』は特電機を越えるパワーがある機種だという意味で使われていたのかもしれません。

 それが、後にたまたまデジパチについても「超特電」という総称で使われていた。そう考えると、しっくり納まります。

 ちなみにこちらが、気になる平和の特電機『大和』です。

(写真)1980年春、平和が大々的に発売した『大和』

 盤面左上にもちょっと気になるイラストが描かれていますが(笑)、資料によると左右の戦艦が玉を撃ち合うゲーム性が大人気だったとか。今更ながら撃って、いや打ってみたかったと思います。