【球面体ノート53】忘れられない“パチスロ初体験”

(写真)1986年、1号機ファイアーバードのコーナー(筆者が打った店ではありません)

 パチンコを最初に打った場所や機種がうろ覚えだったのに比べ、パチスロ初体験や当時の出来事については鮮明に覚えています。

 パチスロを初めて打ったのは1986年、自宅近くの「F」というホールでした。その頃は既にパチンコホールに一人で出入りしたり機種名が分かるようになっていたのですが、なぜかその日は以前より気になっていたミズホのパチスロ『ファイアーバード(※正確には1.5号機の7Uだったが、当時は店内放送でファイアーバードと言っていたので、それが正しいと思っていた)』のコーナーをうろうろとしていた私。

 当時パチスロは多くのホールに導入されるようになってまだ数年しか経っていなかったにもかかわらず、2列(1島)あったコーナーは連日大人気。行くたびに盛り上がっている様子を見ているうち、打ってみたくなったのでした。

 なかなか空かない席の周りをうろうろしていると、年配男性がスッと立ち上がって念願の空席発見! すぐにキープしてからコイン貸し機で1000円分(50枚)を借り、いざ打とうとしたものの……。

 遊び方が、よく分からない。

 とりあえず、隣の若い男性の真似をして3枚投入→レバーを叩く→ストップボタンを押す。という動作をしていると、何と数ゲームで777が揃ってしまったんです!

 さぁ、困った。どうすりゃいいのぉぉ??

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 思わず手を止めてキョロキョロしていると、先ほどまでその台を打っていたオジサンがいつの間にか斜め後ろに立っていて、私に話し掛けてきました。

「まず3枚入れて回すんだ」

 言われた通りに回して止めると、メダルが次々払い出されます。すると。

「今音が変わっただろ? そうしたら1枚入れて回して1回だけ止めるんだ」

 後から「ジャックイン」という状況を理解しましたが、その時はただただ言われる通りにして、最終的にメダルを350枚ほど獲得することができました。

 当時の台は一回交換仕様のためビッグ終了後は打てなくなるので、メダルを細長い箱に移して景品と交換するところまで教えてもらい、何とかパチスロ初体験を済ませたのでした。

 そんなこんなでパチンコで体験したビギナーズラックを、パチスロでも味わってしまった。1000円が6000円ほどになったのに気を良くし、そこから『ファイアーバード7U』詣でが始まってしまいます。

 しかし、世の中もパチスロも甘くはない。

 打ち方の手順は体得したものの等倍返しなどのゲーム性がよく解っておらず、ボーナスが入ったかどうかやヤメ時などを見極めることも出来ないオヤジ打ち女という、ド素人丸出しの状態で勝てるワケはありません。

 パチスロを打つこと自体は楽しかったものの、けっこう負けてパチンコの羽根モノをチマチマ打ったりしているうち、ある“事件”が起こったのをきっかけに、プッツリとFホールへ行かなくなってしまいました。

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 私は大学に行くフリをしてFホールへ入りびたることも多かったのですが、ある日さすがに登校しようと(笑)駅のホームを歩いていると、ベンチに座っていた高校生数人が私のことをジロジロ見ています。ん? と思いつつ通り過ぎようとすると、一人が「お姉さん、今日はパチンコ打たないの?」と話しかけてきたのです。彼らは私と同じく? 学校をサボってFによくいた不良グループのようでした。

 クスクスと笑い始める彼らをスルーしながら「ああー、なんてこった。すっかり覚えられていたのだ!」と、かなり驚きというかショックを受けていました。思えば若い女性自体珍しかった時代ですから、こっちを覚えている人は彼ら以外にもいる可能性がある。そんな風に思うと二度とFに行く気が起らなくなってしまったのです。

 その後は人が多い都内中心で、ちょうど大学近くに沢山ホールがあったものですから、適度に時間や頻度をばらしつつあちこちに行くというスタイルで遊ぶようになっていきました。

 まぁ結局、そうしたスタイルに変えてからパチンコやパチスロに沢山の種類があることが分かったり、その後の仕事に役立つことも多かったので、御の字にしておきます。

 ちなみに件の「F」は2010年頃閉店し、業態を変えつつ今も建物だけは残っています。たまに前を通ると、ふと「打ち方を教えてくれたおじさんや悪ガキ連中は、元気だろうか……?」なんて思ったりしますね。(神保)