【レトロパチンコ文化考察】第8回「時をかけるパチンコホール<1>」
- 2021.07.02
- レトロパチンコ文化考察
8年前に招致が決定して以来様々なトラブルに見舞われてしまった東京オリンピックが、57年ぶりに何とか開催される見込みとなりました。
1964年にアジア初のオリンピックとして開催された大会の様子については、記録映画をはじめ様々なメディア等で目にすることができますし、代々木体育館など一部現存する建物においても当時を偲ぶことができます。
そこでこのコーナーでも、今月は50年程度昔のパチンコホールの様子と現在を見比べることによって、時代や遊技業界の移り変わり(もしかしたら変わっていないものもあるかも?)を考察してみたいと思います。
と、前置きはともかく一番上の写真は、新橋駅前の「ニュー新橋ビル」1階にて営業していた「シルバースター」1971年の様子です。Wikipediaによれば同ビルが竣工したのも1971年とのことですので、かなり“ピカピカ”な時代だったということでしょう。シンプルな目隠しが貼られた出入り口には小ぶりの花が飾られ、手前左には大きな灰皿が置かれているのも時代を感じさせます。
また、通りがかったサラリーマンとおぼしき人物ほぼ全てがパチンコ店内の様子を気に掛けている写真であるのも、偶然かもしれませんが面白いですね。
そんな「シルバースター」の50年後、大体同じ位置から撮影したのがこちらの写真。
天井に並んだ蛍光灯や段差のある床などほぼ当時のままですが、今ではドラッグストアが営業しておりパチンコホールの面影はありません。令和を待たずして閉店してしまった「シルバースター」、この写真を見て少し思い出して頂ければ幸いです。
さて、今回はもう一枚ご紹介しましょう。こちらは1970年、上野のアメ横界隈の風景です。左奥に見えるのが国鉄(JR線)の高架で、手前から「スター」そして「モナコ」というパチンコホールが営業している様子が分かります。
資料によれば「スター」も「モナコ」も西陣オンリーで200台近くを設置。そして「スター」は「スターホール」、「モナコ」は1984年から「百万弗」として平成時代を迎えています。
そんな上野のこのエリアは現在どうなっているかというと……
大体同じ角度から映した写真になりますが、残念ながら「スター」はゲームセンターになり「モナコ(百万弗)」はスポーツ用品店を経て、2021年6月末現在空き物件となっています。
昨年より、まさかのコロナ禍に見舞われたアメ横でもインバウンド壊滅や飲食店の撤退が相次ぐなど悲惨な状況となっており、パチンコホールも激減。人のにぎわいが戻った時、果たしてパチンコも復活できるのでしょうか……?
※写真協力…(株)遊技ジャーナル社
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