【レトロパチンコ文化考察】第10回「時をかけるパチンコホール<3>」
- 2021.07.21
- レトロパチンコ文化考察
今月は、シリーズとしてパチンコホールの今昔について50年間ほどを比較考証しています。今回取り上げるのは、JR御徒町にある上野松坂屋裏手で営業していた「ニュー東京」というホール。
上の写真は1968年6月に新装オープンした時の様子で、夏を迎えるにあたり従業員がゆかた姿になったりお祭り風の装飾がほどこされるなど、色々なサービスや工夫で話題となっていたようです。
が、実はこのホールで一番注目されていたのは店長さん。「雑草釘師」なるキャッチフレーズでテレビや雑誌によく登場していた関史朗さんという方で、お店に現れると人垣ができ、新機種入れ替え時は「釘師と勝負」といった貼り紙も掲出されたりして、大変な人気を集めていたようです。
そんな状況はけっこう続いていたようで、1971年には何と「出世街道」なるレコードまで発売し、ホールで記念イベントも開催されました.
イベントには、写真のように歌手(女優?)の白川奈美という女性も駆けつけたり、閉店後には店舗の前でライブ? も行われました。
ライブは写真のように大盛況となり、紙テープが沢山飛んでいたのも分かります。このホールはその後も営業を続けていましたが、翌1972年に閉店して大衆割烹になりました。当時のオーナーが他の場所で経営していた居酒屋が大流行りしていたのを受け、業種替えを決断したことによるそうです。
その後大衆割烹はゴルフショップとなりましたが、1983年3月再びパチンコホール「ダイヤモンド」が開店。
このホールは約40年近く営業を続けた老舗となったものの、残念ながら2022年8月をもって閉店することになりました。
こちらは、1983年と大体同じ角度から撮影した2021年の様子。ホール外観の変化はもちろん、右奥に見えていた「福助」という有名なあんみつ屋さんも閉店してしまったりと、様変わりしているのが分かります。
今やパチンコでも「演者」やら「Youtuber」やらが闊歩する時代となりましたが、今回は50年以上前のホールの様子だけでなく、当時にも業界を盛り上げるタレント釘師が存在していた情報もお届けしました(関氏についての消息などが分かりましたら、また追記します)。
※2022年8月、「ニュートーキョー」に関する追跡記事および「ダイヤモンド」閉店に関する項目を加筆致しました
※写真協力…(株)遊技ジャーナル社
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