【レトロぱちんこ文化考察】第1回:幻の未確認遊技物体
- 2020.09.03
- レトロパチンコ文化考察
2020年8月末、94年もの歴史を持つ巨大遊園地「としまえん」が閉園しました。最終日には新型コロナ感染防止対策をほどこしつつ多くのファン達が訪れ、別れを惜しむ様子がメディアで報じられていましたね。
思えば、昔から日本においても様々なコンセプトを持ったレジャー施設が登場しては消えていったものですが、いわゆる1980年代後半の「バブル期」にも大変変わったパチンコホールが存在していましたので、第1回目はその様子や顛末をご紹介したいと思います。
時はバブル期に突入していた1987年の、京都府伏見。草木が生い茂る広大な敷地の中に、丸いドームのような建築物が顔をのぞかせています。建物の正面に近付いてみると……
円盤形の構造をしたパチンコホールが建っていました。屋号は「UFO 2001」といい、地球に着陸した未確認飛行物体を思い起こさせるような、近未来的な建物に見えます。1970年年代後半には映画「未知との遭遇」やピンクレディーの「UFO」、そして「インベーダーゲーム」なども大ヒットしていましたし、もしかしたらそれらのイメージを取り入れていたのかもしれません。
ちなみに今では遠い過去になってしまったものの、「2001(年)」は未来を表すキーワードのような存在として様々なネーミングに使われており、UFOとの組み合わせにも時代が感じられます。
当時の資料によれば、デザインを担当したのは建築家の若林広幸氏。1985年にパチンコ372台を設置して新規オープンし、その奇抜なデザインは来店したファン達を驚かせていたとのことです。
内部は中央に景品交換カウンターがあり、その周りに放射状に12個の島(パチンコ台が設置された、ひとかたまりのこと)が並べられていました。上の写真は外側の壁際から見たところで、曲面になったガラスブロックから日光もよく入って明るい雰囲気となっています。
こちらが景品カウンター。素朴なぬいぐるみやまだ巨大な箱に入っていた洗剤など、時代を感じさせる景品の数々が並んでいます。ちなみにその向こうには……
ちょうどUFOの中央部分にあたる吹き抜けがあり、古いSF映画に出て来そうな電飾? の大きな突起が。もしかしたら、ハリウッド映画のように夜になると空目がけて光を放射していたかも? などと、妄想も膨らみます。
カウンターと反対側の中央部分にはガラスが張り巡らされ、そこには設置機種の名前が書いてありました。
少しラインナップを紹介すると、『応援団』『ウェスタンファーム』(以上西陣)『ビッグシューター』(平和)『スカイランド』(奥村)『スタジアム』『カルテット』『クラシックカー』(以上三洋)といった羽根モノ、おそらく一発台の『タンブラー』(京楽)、パチスロ1.5号機『アメリカーナミント』(ユニバーサル)など、当時はやはり羽根モノがメインとなっていたようです。
きっと現在40代以上のパチンコファンにとっては、身を乗り出すような人気機種のオンパレードでありましょう。
そんな魅惑的で不思議なパチンコホールが、なぜこのような場所に建てられていたのか? その答えはエリア入り口に設置されたアーチにありました。
「ふれあいスポーツ DAIGO」というネーミング。ここは広大なレジャー施設となっており、一角が「UFO 2001」だったというわけです。
これらは今で言う「総合レジャーセンター」のような存在ですが、項目を見ると「スケート」「テニス」「プール」「巨大迷路」と、ここまではファミリー層が楽しむスポーツ施設だと分かる一方、以下なぜか「パチンコ」「麻雀」と、ちょっと場違いなコンテンツが続いているのが気になります(笑)。
おそらく「巨大迷路」は当時全国で大流行していましたので、子どもたちが楽しんでいる間にパパはパチンコや麻雀もどうぞ、という狙いもあったのかもしれません。
時は流れ、現在この場所を地図やストリートビューで確認してみると大型のホームセンターなどが建っており、当時の面影は全く見ることができません。きっとUFOは飛び去ってしまったのだろう……と、つまらないおとぎ話のようなことを思う一方、かつてファミリーやパチンコファンを喜ばせたスケールの大きい施設があったこと、そしてきっと幼い頃この場所でお父さんやお母さんがパチンコを打っていたのを思い出の一つとして覚えている方もいるに違いない。そんなことが、妙に感慨深く思えます。
※写真協力…(株)遊技ジャーナル
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