【レトロパチンコ文化考察】第33回:1970年の大阪万博で紹介されていた、運命のパチンコ台(前編)

(写真)西陣が1970年発売した『万朶の桜』

 2023年4月13日、来る2025年大阪で55年ぶりに開催される万博まで、ちょうど2年となりました。

 前回の大阪万博では携帯電話や電気自動車など、後に現実のものとなった最先端技術が披露されたことがよく報じられていますが、当時「電力館」というパビリオンにてあるパチンコ台が紹介されていたことは、ほとんど知られていません。

 その機種は西陣の『万朶の桜(ばんだのさくら)』といい、前年より許可された百発機(1分間に100発打ち出せる台)の最新鋭として、同年大々的に発売されました。

 ちなみに「万朶の桜」といえば軍歌に出て来る言葉を思い出しますが、資料によれば「万博の万、そして“万朶の桜百合の花”という言葉に引っ掛けた」ネーミングだったとのこと。

(写真)世界的な技術を取り入れたことを強調する、当時の広告

 当時の広告コピーでは、最新式の海外製動力を使ってより正確に100発を打ち出すことができる、すなわちホールに確実に売り上げをもたらすことがアピールされていました。

(写真)横に5つ並んだスクリーンで上映された「太陽の狩人」。中央枠内がパチンコ

 この『万朶の桜』は大阪万博の「電力館」に吊り下げられるように設置された、巨大な5面スクリーン用に制作された「太陽の狩人」という映画の中で、日本を代表する娯楽の一つとして紹介されたそうです。

 同年『万朶の桜』が大ヒットとなり万博でも紹介されるという名誉にあずかった西陣そしてソフィアでは、社員450名がツアーを組んで万博会場に訪れたという記録もあり、意気揚々としていたことが想像できます。

 ところが、その後起こったある「事件」によって、西陣を取り巻く運命が大きく変わっていったのです(後編に続く)。