【レトロぱちんこ文化考察】第3回「テレビパチンコ狂想曲」(中編)
- 2021.03.05
- レトロパチンコ文化考察
※前編はコチラへどうぞ
1977年、西陣が先陣を切って発表した「テレビ付きパチンコ」。改良をほどこした『テレパチマン』が市場をにぎわせていた頃、名古屋メーカー・京楽からも新機種が誕生します。
京楽から登場したテレビ付きパチンコは『319号 オール15』。当時の京楽では、まだ台に名前をつけず番号で識別や管理を行っていたので、テレビ付きタイプではこの他にも兄弟機として賞球やゲージが異なる
『128号 オール13』
『318号 オール10』
といった機種が発表されていたようです。
上の筐体写真で分かる通り、京楽の台ではチャンネルやボリュームつまみなどが枠の左下に搭載されていたため、遊技者の利便性が一層はかられていたのも大きな特徴でした。
京楽のテレビパチンコが初導入されたのは1977年7月23日、栄の「とらや会館」。写真では大きなヘッドフォンを付けたお客さんが楽しんでいる様子が分かります。
二社に続いてテレビ付きパチンコを発表したのはSANKYOでしたが、同社の場合は上の写真の通り、画面を盤面右側に寄せて役モノと別個に扱っていたのが大きな特徴でした。ちょっとした「コロンブス的発想」と言えるかもしれません。この機種が発表されたのは、8月8日に行われた同社初の大型展示会。会場も「明治座」という、かなり変わった内容であったようです。
しかし、SANKYOの場合は当時「スロット付きパチンコ(ブレンドなど)」の方に傾注していたこともあり、残念ながら現時点では機種名含め盤面以外の詳しい内容は分かりません。何か情報が集まれば追記していきたいと思います。
さて、テレビ付きパチンコを発表した西陣、京楽、SANKYOに続き、やはり平和も黙ってはいませんでした。同年9月7日に「平和パチンコショー」という大規模な展示会を開催し、そちらの一角に展示されていたのがテレビ付きパチンコ『ライダーテレビ』でした。『テレパチ“マン”』に対抗するのが『“ライダー”テレビ』とは、70年代のテレビッ子のハートを刺激するネーミングであったと言わざるを得ませんね(笑)。
さぁ、これでさらにテレビパチンコの市場が面白くなるのか……と思いきや、実はとんでもない事実が判明します。当時の業界誌によれば、平和では展示会の時点で既に『ライダーテレビ』を200台販売しているというのです!
会場ではさらに、5インチの大型ブラウン管を配置した「店頭に設置する宣伝用テレビ付きパチンコ」まで発表して次々売約するなど、まさにトップメーカーならではの余裕綽々ぶりも見せつけていました。次回書きますが、実は平和でもSANKYO同様テレビ付きよりも力を入れていた機種があり、メインの扱いでなかったのにも驚きます。
『ライダーテレビ』は同年8月8日、神田の「ジャンボ」で5台がデビュー。他のホールにも大体5台程度ずつ導入されたそうですが、中には21台も導入した鴬谷の「みとや」といった超お得意様もあったそうで、存在感も一歩抜きん出ていたといえるでしょう(写真は池袋『大番』の『ライダーテレビ』コーナー)。
様々な思惑や狙いを見せながらも、複数メーカーがしのぎを削ることになった「テレビ付きパチンコ」。驚くことに、その市場を狙って新規メーカーまで参入を果たしていたことが分かりました。その新規メーカーとは? さらに、テレビ付きが徐々に衰退していってしまった理由とは? 次回をお楽しみに(続きの後編はコチラへ)。
※写真協力…(株)遊技ジャーナル社
※写真や文章の無断転載を禁止します。
-
前の記事
【球面体ノート】遊技業界の就活事情@1980年代 2021.03.03
-
次の記事
SANKYOが「Anime Japan2021」へ協賛 2021.03.06