【レトロぱちんこ文化考察】第6回「女の園へ、ようこそ!」

▲▽女性専用ホールは1960年代半ばごろに誕生?△▼

 筆者(女性)がパチンコを打ち始めた1980年代半ば頃、ホールにいたお客さんのほとんどは男性でした。たまに見かける女性客といえば、大体高齢者か夜の街関係とおぼしき方だったので、当時大学生だった自分は何となく居心地が悪かったのを覚えています。

 一方、パチンコに女性客を呼び込みたいという業界側の思惑は、かなり昔からあったようです。上の写真は1971年に女性コーナーで玉を借りるお客さんの姿ですが、女性専用は既に1967年、浜松市の「ゴールデンセンター」というホールが誕生していました(※それ以前にも、名古屋に女性専門店があったとの記録もあり、一号店の正確な時期は現時点で不明)ので、実はずーっと女性客誘致自体は行われていたのですね。

こちらも1970年代初期の、名古屋市内某ホールにあった女性コーナーの様子。当時は台の裏機構も単純だったことから、こうやって独立した形でのオシャレなコーナー設置が可能だったそうです。椅子もゆったりしており、おしゃべりしながら長時間でも楽しめたに違いありません。

 また上の写真は1976年、名古屋の1000台を構える巨大ホールの外観で、右側には女性専用コーナーが大きく表示されています。こんな感じで看板などを出しているお店は、全国にあったようです。

 そして1986年には浜松などに続いて女性専用ホール「レディース・ハマコー」が高知県に誕生。写真上はオープンの様子ですが、この後も女性たちが次々集まりかなり長蛇の列ができたようです。

 女性専用を意識してか、ウィンドーには当時流行してた「エアロビクス」をイメージしたと思われるマネキンが飾ってあり、景品にも化粧品や食料品といったニーズが高いものを揃えていたとのこと。

 このようにパチンコ業界ではあの手この手で女性客誘致を行ってきており、よく出かけていった私自身確かにパチンコの釘が甘かったりパチスロでは高設定を確信したり、かなり「美味しい」体験をすることができました。。

 1980年代から90年代にかけ、レディースハマコー以降もちらほらと女性専用ホールが話題になっては消え……を繰り返し、2004年大阪・ミナミに「四海楼レディース」という女性専門店がオープンしましたが、こちらも長続きはしませんでした。

 そして2021年現在、「女性専用休憩コーナー」は見つけることができましたが、専門店はどうやら絶滅してしまった可能性が高そうです(もしご存知の方がいらっしゃいましたら、ご連絡下さい)。

▲▽女性専用ホールが長続きしない理由とは?△▼

 なぜ、女性専門ホールが流行らないのか?

 これまで様々な説を色々なところで見聞きしましたが、私がなるほどと思ったものをいくつか挙げてみますと

「やっぱり男性もいないとイヤ、という女性が予想外に多かった」

「客層は主婦メインなので、夕方以降は家事などで皆帰ってしまう」

「タバコを嫌う女性が多かったが、分煙や禁煙が進んだ」

「釘を甘くするサービスが、規則改正でできなくなってしまった」

……こんなところでしょうか。後半2項目は特に現在差別化が図れなくなりましたから、多くの女性にアピールするポイントがないですよね。加えて、昨今の風潮から考えると特定の性を差別するという動きに対する風当たりも、強いかもしれません。

 90年代にはパチンコにおいても「女性の集まるところに男性も来る」という表現がよく使われていたものですが、時代は流れて多くのパチンコファンが居心地よく楽しめる場所の追求が当り前になった、ということなのかもしれません。

※写真協力…(株)遊技ジャーナル社

※写真や文章の無断転載を禁止します