【ぱちんこヒューマン】第6回:西陣のデジパチ一号機『ターボX』開発者インタビュー
- 2022.08.29
- ぱちんこヒューマン
1980年、デジパチの元祖『フィーバー』がSANKYOから登場し、パチンコに大きな革命を巻き起こしました。翌年にはライバルメーカーからも次々同じタイプの機種が発売されましたが、今回はその中から西陣のデジパチ一号機『ターボX』開発に携わった、荒井薫氏に当時のエピソードを色々とお伺いしました。
※『フィーバー』登場や初期のデジパチにまつわるエピソードなどは、以下の関連記事をお読み下さい。その1・その2・その3・その4
<荒井 薫氏プロフィール>
1971年、西陣の開発製造部門である(株)ソフィアへ入社し、研究開発部研究開発課に配属される。同年『ローリングヤング(普通機)』の役物設計を初めて手がけ、以降『エレックス グランプリ(同社電役第一号・1974年)』『エレックス ターボX※(同社デジパチ第一号・1981年)』『エレックス スペースジャガー(同社羽根モノ第一号・1981年)』『レッドライオン(同社保通協適合第一号・1985年)』『CRうちどめ君(同社CR機第一号)』『CR花満開(CR機を代表する名作・1993年)』といった、数々の歴史に残る名機の開発に携わる。2022年8月、同社を定年退職。
※西陣では80年代初期、電気信号で動く台の名称に「エレックス」という言葉を冠していましたが、以下では『ターボ』と簡略化させて頂きます。
▲▽2ヶ月の突貫作業でデジパチ3機種を開発▽▲
編集部(以下、編)…まずは『ターボX』の誕生背景についてお伺いします。当時はやはり、SANKYOの『フィーバー』を意識されていたのでしょうか?
荒井(以下、荒)…1980年末から『フィーバー』の人気ぶりが伝わってきまして、うちも同じタイプの機種を作ろうということになったのですが、とにかく前例が何もありません。そこで、デジタルが揃うと当りという部分以外は元々ソフィアが手がけて来た役物を流用しようということになり、私が担当した『ターボX』では『スペースX』という電役機の中央部分をアタッカーとして流用しました。
編…それで、宇宙船が集まるような凝ったアタッカーだったのですね。ちなみに他の『L』と『R』の表示やアタッカーについてはご存知ですか?
荒…『ターボL』はそれ以前に発売した電役の『スペースライン』で使った90度回転して玉を拾う役物をアタッカーに流用し、『ターボR』はルーレット型デジタル部分はオリジナルで、下に配置した回転式チューリップは既存役物の流用でした。そんな流れでしたので、ゼロからのスタートではあったものの、何とか2ヶ月ほどで製品化することができたのです。ちなみにX、L、RはスペースX、スペースライン(LINE)、ルーレット(ROULETTE)からそれぞれ一文字を取って名付けています。
編…当時はホールさんに設置するのもスピーディーだったのですか?
荒…その頃は保通協もなく各地区の公安で試験を行っていたので、台を持ち込み1万回転させて全部の出目を書き出し、それで偏りがなければ大体OKでした。しかし時間もかかりましたし、ずーっと赤い7セグを見つめていたため帰りの車では信号が全部赤に見えたりして困りましたね(笑)。
▲▽製造が追いつかない大ヒットを記録したものの…▽▲
編…1981年の記事などを拝見しますと『ターボ』も全国的に人気に火がつき、製造が追いつかなかったということですが…。
荒…おかげさまで、工場の生産キャパに迫るほどの人気を頂くことができました。当時は製造部門担当者だけでなく、我々開発や事務担当までが残業や日曜出社によって、製造ラインを手伝っていましたね。
編…ターボシリーズの販売台数は、どれぐらいだったのですか?
荒…申し訳ないのですが、40年以上前の機種ですので販売台数や確率等のスペックに関する資料やデータ類は、もう社内に残っていませんでした。ただ、当時は大体日産1,000台ほどでしたから販売期間(2〜3ヶ月)から考えて、10万台までは届かなかったのではないかと思います。
編…そうだったのですか。ちなみに下世話な質問ですが、報奨金なども出たのでしょうか?
荒…もちろん出ましたよ(笑)。社員もみんなパチンコが好きだったので、少ない合間を見つけては他社のデジパチを打って攻略情報を交換したりしていました。ただ、大いに売れたのはいいのですが、『ターボX』の中央役物が何度も開閉すると熱を持ち、動かなくなってしまうという不具合が発生してしまいました。そのため、盤面の裏に放熱板を付ける作業で全国の設置ホールに行かねばならなくなったのが大変でしたね。確か、半年ぐらいはそうした作業に追われていました。
▲▽予期せぬクレーム対応に追われる日々▽▲
編…確かに、初期のデジパチですと繰り返し青天井ですから故障も多かったかもしれませんね。補償トラブルのようなこともあったのですか?
荒…そう思われるかもしれませんが、昔は個人経営のホールが多かったことやターボで多くの利益を挙げて頂いたこともあってか、意外に労いの言葉が多かったですね。こちらもとにかく放熱板をかき集めて、何とかしのいだのを覚えています。
編…『ターボ』シリーズでは、他にもデジタルのストップボタンを駆使して狙い打ちができる攻略法が話題になりました。そちらの対応などはどうされたのですか?
荒…当時、開発ではAチームとBチーム(それぞれデザイン、設計、ゲージで4〜5名)の他に、プログラム作成の数名による電子チームが編成されていたのですが、何しろ初めてのデジパチだけに3機種とも単純なプログラムを搭載していたことから、うまく狙われてしまったようです。ホールさんからのクレームも日増しに増え、ストップボタンの配線を変えてタイミングをずらしたり色々と試行したものの、攻略といたちごっこで最後はボタンを切るところも多かったようですね。今とは違い、そうしたことがあまりうるさく言われなかったのです。
編…やはり、裏では大変な苦労が多かったのですね。
荒…さらに私たちが予想していなかったクレームもありまして、強力なエンジンをイメージして付けた『ターボ』という名前が、自動車会社の商標に引っかかってしまったのです。そのため、当初はデジパチのシリーズにずっと使おうと思っていた『ターボ』から『ルーキー』に変更した、という出来事もありました。
編…何と、『ルーキー』シリーズはそんな経緯で生まれたのですか!
▲▽失敗を生かし、多くのファンに愛されるものを▽▲
編…さて、『ターボ』シリーズヒット後についてお伺いしますが、社内の雰囲気や販売戦略などはどんな風に変わっていきましたか?
荒…いや、それほど大きな変化はなかったと思います。元々ソフィアではオリジナルの役物開発に力を入れていましたし、デジパチ自体30%規制(※ギャンブル性を抑えるため、ホールが設置台数の30%以下に抑えることを決定した自主規制)があり、羽根モノなどのマーケットの方がまだ大きかったですから。
編…確かに、90年代初期までは羽根モノが多かったですからね。デジパチ自体の方向性も、大きくは変わらなかったのですか?
荒…『ルーキー』シリーズ以降は、ターボで搭載していた凝ったアタッカーはほとんど使わないようになりましたね。『ルーキーZ』『キャプテンルーキー』などご覧になると分かりますが、オーソドックスな扉型を採用して極力トラブルがないようにしています。その後「おまけチャッカー(※出玉が1300発に規制されてから誕生した、大当り中アタッカーなどにぶつかった玉がサイドのチャッカーに流れ込みプラスαの出玉を生み出す仕掛け)」時代にも、ホールさんが調整しづらい盤面構成を避けたりするようにしていましたね。
編…なるほど、ターボで経験された苦労などが『ルーキー』以降生かされていたのですね。その時代から40年ほどが経ちパチンコも大きく変わっていきましたが、最後に現在のパチンコを見て感じておられることや、提言などがありましたらお聞かせください。
荒…やはり今の台は、映像中心で隔世の感がありますね。個人的には役物を生かしたアナログ寄りの台も好きなので、近年羽根モノや役物タイプをなかなか発売できなかったのが心残りではあります。しかし今後は一ファンとして、時代に合わせつつもパチンコ本来の面白さを忘れないような機種が登場するのを、期待していたいと思います。
編…有り難うございました。
<取材を終えて>
荒井氏は、古くから記者会見やインタビューなどメディア関係者にも気さくに対応して下さり、今回も退職直前というタイミングにもかかわらず丁寧にご回答頂きました。これまで大変お世話になりましたことを、改めて御礼申し上げたいと思います。有り難うございました。
※取材協力…(株)西陣 (株)ソフィア
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