【レトロパチンコ文化考察】第14回*パチスロ特集*「オリンピアマシンとパチスロの境界線について」
- 2021.09.24
- レトロパチンコ文化考察
8月から9月にかけ、当サイトならではの切り口でパチスロを特集しています。今回注目したのは「オリンピアマシンからパチスロへの過渡期」について。
私達は様々なところで「オリンピアマシン」「(パチスロ)0号機」「パチスロ」といった名称を目にしますが、特に前者2つの区分についてはネットで調べてみても色々な説があったりして、何となく曖昧ではないですか?
そこで今回は
- オリンピアマシンが存在していた時期的な区分は?
- パチスロ0号機とはいつからいつまでを指すのか?
- オリンピアマシンとパチスロ0号機の違いとは?
と、この辺についての疑問を解いていきたいと思います。
まずパチスロの前身であるオリンピアマシンの区分についてですが、前回紹介した通り1964年の誕生から少しして警察庁からパチンコホールでの営業を許可され、1960年代後半以降認知されるようになっていきます。
しかしブームが去っていったん姿を潜めてしまった後、1970年代後半から増えてきたオリンピアマシンは、リールを物理的に停止させていたため目押しで狙われてしまったり、筐体がアメリカのスロットマシンのように巨大でスペース確保が難しかったり、様々な問題がありました。
そこで「ステッピングモーターで当り判定を行う(当ってなければ狙っても揃わない)」「サイズをパチンコと同じにする」という2つの大きな問題をクリアして、1980年に山佐から登場したのが『パチスロ パルサー』でした。同機種は「パチンコサイズスロット=パチスロ」というネーミングアイデアによって生まれたそうです(業界誌・遊技通信のインタビューより)。
多くの人は、この機種の登場=パチスロ時代の始まりと思われるかもしれませんが、調べてみると業界内部ではそういう簡単な経緯ではなかったようなのです。
パチスロパルサーと同じ1980年11月、パチスロメーカーの団体「日本電動式遊技機協同組合(日電協)」が発足しますが、その翌年すぐ「パチンコホールで営業に使うスロットはオリンピアマシンと呼ぶ」ということが決定され(日電協10年史より)、パチスロはあくまでメーカー固有の名称……つまり、組合設立後しばらくはオリンピアマシンもパチスロ(タイプ)も全て「オリンピアマシン」である、とされているのです。
どうやら、初期のパチスロは混沌とした状況下で生まれたことになりますが、日電協が1981年9月に上野で開催した初の合同展示会「オリンピアマシンショー」において発表されたパチスロタイプは『パチスロ ナイト(尚球社)』『アドバンス(瑞穂製作所)』『ロイヤルスター(共和科学)』『アメリカーナ(ユニバーサル)』など、まだ全体の半分弱といったところでした。
しかしやはりサイズ的に使い勝手がよかったり、目押しで狙われないように制御されたパチスロの存在感が増していったのは、自然な流れだったようです。
この写真は1982年のホールの様子ですが、看板などにもはっきりと「パチスロ」の表記が。つまり、業界団体はホール営業で使うスロットのことを「オリンピアマシン」と定義してはいたものの、現場ではパチスロ時代に突入していたといえるのではないでしょうか。
こうした流れから考えるに、2つ目のパチスロ0号機の時期についてはやはり、1980年から始まり、1985年の法整備(1号機の誕生)まで続いた。しかし業界内ではパチスロとしての存在は認められていなかった……ちょっとややこしくて恐縮ですが、このように考えるのがいいのかな、と思われます。
と、少し流れがスッキリしてきたように思われたものの、実はパチスロ業界では1985年の規則改正にあたっても、まだパチスロという存在を正式に認めてはいませんでした。
上の写真の通り、1985年にパチスロ1号機を集め開催された合同展示会のタイトルは、以前と変わらぬ「オリンピアマシンショー」だったのです。まぁ、法律上は「回胴式遊技機」になったのですから、オリンピアマシンと呼ぼうがパチスロと呼ぼうが自由ではあるものの、またしてもこれらの境界線が曖昧になってしまいました。
そんな中さらに、1号機の基板改修問題や一部メーカーの大型脱税事件などパチスロ業界を大きな嵐が次々襲い、呼び名問題(などと命名する間もなく)は蚊帳の外へ。いつの間にかオリンピアマシンは消え、パチスロが生き残ることになりました。
ここまでだいぶゴチャゴチャして来てしまいましたので(笑)、最後に今回独自調査によって分かったことをまとめておくことにします。
- オリンピアマシンの誕生は1964年が定説となっている一方、消えた時期は1985年以降だが曖昧である(業界団体が定めた呼称、という意味で)。
- パチスロ0号機とは、パチンコと同サイズになった1980年から法整備によって1号機が生まれた1985年までと定義したいが、業界団体はオリンピアマシンという呼称をその後も使っていて、実は曖昧。
- オリンピアマシンとパチスロ0号機の違いは、業界内部ではじつは曖昧であった。しかしメカ的には「内部構造の進化によって目押しで狙われなくなった」「サイズがパチンコと同じになってホールに設置しやすくなった」もの以降がパチスロである、といえる。
やはりこうして調べてみると、誕生当初には色々な思惑(メーカー間の競争など含め)が交錯し、スッキリと「ここからパチスロ0号機になった」とは言い切れなかったことが分かりました。しかし後付けながらも時代の区分けとして、2で挙げた「1980年から1985年の法整備までに登場した、パチンコサイズのもの」を0号機とすることで、おおむね正しいのではないかと思われます。
このテーマについてはまだまだ未知の部分や疑問点もありますので、引き続き調査して加筆修正をしていきたいと思います。
※写真協力…(株)遊技ジャーナル社
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