【レトロパチンコ文化考察】第15回「奇妙な広告と奇妙な台の話」

 コロナ禍の影響で、ここ数年めっきり訪問することが減ってしまった愛知県名古屋市。パチンコ発祥および発展の地としても有名な“聖地”でありますが、今回は今から50年前に遡った1971年の写真で見つけた、ある奇妙な広告媒体についてご紹介したいと思います。

 地下鉄の名前でも見かける、名古屋市東山。1971年当時に営業していた「東山会館」というホールの入り口にて、何やら人々が足を止めている場所がありました。

 どうやら、何か興味を引かれるディスプレイが存在しているようです。遠目ではちょっと分かりづらいので、写真をズームしてみました。

 そこには一般景品とおぼしきお菓子やカレーなどの他、2台のパチンコが並べられています。向かって左は普通の台で、右側は盤面の形に紙が貼られ、女性の顔とともにこんな文言が書かれていました。

ウーマンリブ賛成

パチンコは男だけのものじゃナイヨ

 ウーマンリブ、と聞いてピンと来るのは恐らく現在50代以上ではないかと思われますが、簡単に言うと1960〜70年代にかけて世界的に流行した女性解放運動の名称です。

 筆者自身、古今東西のパチンコに関する資料を色々と見ている立場ではあるものの、ホールが組合等ではなく一般客に対してこうしたポリティカルなメッセージを送ること自体、非常に珍しいことだと思います。

 とはいえ当時の時代背景を考えますと、パチンコでは1969年に1分間に100発打つことができる「100発機」が解禁され、一躍お祭りムードとなりました。技術格差が解消され「誰もが1分間に100発打てる」ことになったのですから、業界側も女性客誘致にさらに力を入れはじめ、専用ホールやコーナーも増えていきました。

 そんな状況ゆえ、ポリティカルというよりも単純に流行語としての「ウーマンリブ」を引き合いに、女性ももっと打とう! と鼓舞していたのかもしれません。というか、そう考えた方が楽しいですよね(笑)。

 ところで、先ほどの台アップ写真をよく見ると、宣伝の他にもある奇妙なことに気づきませんでしょうか。

 盤面の形が、四角ではなく右下部分だけ下がっているという、パチンコで普通にイメージするものとは違ったあり得ない? 形をしています。そう思って調べてみたところ、当時の大一や京楽で、この形の盤面を採用していたことが分かりました。

 これは、1971年の業界向け新機種広告です。左の大一では『ニューバンガード239』、そして右の京楽では『バイオレント215』という方が右下がりの金属枠を搭載しているのが分かります。

 大一では、調べた限りですが69年10月の100発機『ニューバンガード212』からこの盤面を採用。同シリーズはかなりヒットを記録したようで、70年には東京営業所を開設してさらにバンガードを推していました。

 ちなみになぜこの形状になったのか? というメカニックな点については、残念ながらハッキリしませんでしたが、広告の文言などを見ると100発機になってから独自開発した「玉送り装置」に秘密があったようです。

 これは71年の大須「モナコ」の大一コーナー。写真を見る限り、お客さん(女性の方々も)は普通に打って楽しんでいることが分かります。

 その後、京楽は71年いっぱいで右下が広いタイプをやめてしまったようですが、大一では新シリーズ『マジックパワー』など72年いっぱい頃までは製造販売を続けていたようです。なお同じく1971年には関東の方で平和が盤面を着脱できる「分離式」を発表するなど技術がどんどん進歩しており、今回取り上げた台も「ウーマンリブ」という言葉とともに、革新的な時代を象徴する存在の一つだったと言えるかもしれません。

※写真協力…(株)遊技ジャーナル社

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