【レトロパチンコ文化考察】第31回:時をかけるパチンコホール1972-2022 in 渋谷<後編>
- 2022.12.03
- レトロパチンコ文化考察
前回(コチラをご覧下さい)より、今から50年ほど前の渋谷周辺にあったパチンコホールの痕跡を探し、小さな旅を続けています。後編の今回は、文化村通りから南寄りの道玄坂周辺および、JRの線路を挟んだ明治通り沿いにあった8店舗を取り上げます(※調査日:2022年11月4日)。
まずは、109を正面にして左側に位置する「エスパス」。ここは50年前「柳小路」というホールでした。
柳小路は奥が広がっている変形の建物となっており、奥の一角に「渋谷センター」というホールがありました。2022年現在は、エスパスがその建物も取り込んだ形となっており……
このように、お店の一角が存在するだけ。昔この辺りがどうなっていたかというと、
別の建物として「渋谷センター」が営業していたことが分かりました(写真は1978年のもの)。渋谷センターは198台の中型ホールだったようですが、いつ頃まで営業していたのかは現時点で不明です。
エスパスを井の頭線の駅方面へ抜けると、「マークシティ」というビルがあります。ビルの脇部分、つまりビルが建つ前に井の頭線添いの高架下にあったのは……
SANKYOオンリーで営業を続けていた「タイガー」でした。写真は1978年のもので、入り口の大きな立て看板には「おもしろい三共の機械 全台入替オープン」とありますが、当時人気を集めていたのは『フィーバー』の前身である『ブレンド』という特電機。
後に取り上げる他の店ではライバルメーカーである平和の『メガトンQ』をしきりにPRしているなど、周辺ではお客さんの取り合いで火花を散らしていたようです。
さて、タイガーがあった場所の向かいには、現在もホール「エスパス渋谷駅前新館」があります。ここも50年前は「大番」というホールでした。
大番も古い写真を探したのですが見つからなかったため、1990年のものを掲載しておきます。ビルの形や向きなども、昔のままですね。
1972年当時、大番は西陣オンリーで337台設置の中型ホールでした。
エスパス駅前館の左を奥に進むと、現在休業中の「エスパススロット専門館」があります。ここは50年前「ウチダ」というホールでした。
こちらは1978年の「ウチダ」で、先ほどのタイガーに対して平和オンリーのホールでした。『メガトンQ』といった特電機をPRする、「話題のクレージーマシン」と書かれた大きな看板を掲出しているのが面白いです。
マークシティーから現在の「楽園渋谷店」方面へ抜け、2軒隣のビル1階奥まったところにあるセブンイレブン。ここは50年前「くすもと」というホールがあった場所でした。
くすもとは247台の中型ホールだったようですが、残念ながら昔の写真を見つけることができませんでした。
渋谷編も残すはあと2軒。道玄坂から、今度はJR線路の反対側に向かいます。東口方面の明治通を少し北に行った右側にある「ラコステ」のビルは、50年前「ジャンボ」というホールでした。
こちらも写真は1978年になりますが、いかにもネオンがギラギラしていそうな看板や、軍艦マーチが聞こえて来そうな雰囲気がいいですね。ここは1972年当時平和と三洋の機種を333台設置していたようです。
最後はジャンボから明治通沿いに、恵比寿方面へ一気に南下します。渋谷三丁目の歩道橋がある手前辺りの、向かって右側で営業していたのが「バンビ」という137台の小型ホール(実はこちらのお店、現在の姿を撮影するのを忘れてしまいましたので、後日追加します。すみません)。
以上、前後編で50年ほど前の渋谷にあったホールの跡を探してみました。駅周辺には今も営業を続けている店舗もありますが、残念ながらやはりこのエリアもホールの減少が進んでいることが分かりました。
※写真や文章の無断転載を禁止します
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「時をかけるパチンコホール1972-2022 inアメ横編<後編>」はコチラ
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